そういう中、爪に火を点すように暮らしてるこっちが、大寒波に見舞われた今週。
JR西日本では列車が立往生し、乗客が最大10時間も閉じ込められた一件には、さまざまな意味で驚かされました。地方の公共交通機関は、東京に住む私たち以上に地域住民の生活に直結しているので一概には言いにくいのですが、10年に一度の大寒波、大雪注意っていうタイミングで計画運休しなかったとは……というのが正直な感想。

 

もし自分だったら10時間もの間、トイレも飲み食いも寒さにも我慢とか絶対無理と思うし、もし閉じ込められたのが自分の年老いた両親だったらと思うと、恐怖しかありません。私が言うまでもなく乗客の方たちはみんな「さっさと降りて、近くの駅まで歩かせてくれ」と思っていただろうし、Twitterには「乗務員はその判断で一致している」という車内アナウンスもありましたが、上が許さなかったとか。
たやすく想像できる「列車外を歩いて何かあったら」という責任問題に対し、「どんな人がどんなふうに閉じ込められているのか」には頭がいかない、というの日本の官僚的な組織の縮図のようにも思えました。この一件に関しては、もちろんこれが一番の問題。

とはいえ私がより驚いたのは別のことーー「上の判断に逆らうと私たちが処罰されてしまう」というような車内放送があったという乗客のツイートを見たことです。もちろん乗務員さんの苦境には察するに余りあるところですが、私が感じたのはJR西日本に限らない、ある種の組織にありがちな「別のヤバさ」です。つまり人間は「権威」の下で飼いならされてしまうと、人間としての判断よりも、権威への服従を優先させてしまうというもの。これを世に知らしめたのは、ナチスドイツの戦犯として捕まったアドルフ・アイヒマンの裁判です。ユダヤ人の絶滅収容所への輸送を指揮する立場にあったアイヒマンは、その罪を問われてこう答えています。「命令に背けば軍法会議にかけられる状況で、従う以外に何もできない」。

念のために言えば、私は「乗務員はアイヒマンと同じだ」と責めたいわけではありません。言いたいのは、個人の判断や裁量よりも、権威的な組織または存在への従順さを美徳としがちな日本の社会では、反転して、もし権威的な組織や存在が誤った判断をしたときに、止めるものは何もないこと、かつては存在した正しい判断が地滑り的に失われていくということです。日本人のこうした気質は「独裁者」とめちゃくちゃ相性がいい。総体としての「悪」はたった一人の大悪人によってなされるものではなく、むしろ人が良くてマジメで他者に従順な無数の人々ーー「凡庸な悪」によって、知らぬ間に支えられているのです。

個人としての倫理観は無意識のうちに、意外と簡単に麻痺していくものです。例えば安倍政権時代に発明された「出処進退は個人が決めること」っていう言い訳とか、議論なしの「閣議決定」とかを、岸田さんは何でもないことのように多用する。
そのことは岸田さんという政治家個人の倫理の問題としても相当ヤバいと思いますが、それ以上にヤバいのは「よくある風景」にこちらが反応しなくなること。「逆らえば損をする」(もしくは「従えば得をする」)という判断は、10年後にじわじわと効いてくる毒薬のようなもの。いやもしかしたら、2~3年後かもしれませんが。
 

 

前回記事「【映画業界のジェンダーギャップ】「女性記者が選ぶ映画賞(仮)」は男性優位を変える一歩となる?」はこちら>>

 
  • 1
  • 2