別れ際なんて修羅場も修羅場だ。みっともなく泣きわめくし、物も壊す。感情の瞬間最大風速が秒速70mを超えている。JRなら一瞬で運休を決めるレベル。そして、そんな嵐が過ぎ去ったあとは、しばらく廃人のような日々が続き、心が正常に機能しはじめるのに3ヶ月はかかる。

そういう恋をいくつか経験してきて思ったのだ、「恋愛」をしている自分があまり好きじゃないなと。「恋愛」をすると僕は相手に依存する。でも、そうやって自分の人生を他人に明け渡すような生き方はしたくない。誰がいなくても、ちゃんと自分は自分として生きていける人間になりたい。そう決めてから、いろいろと生活を変えてみた。

まずは仕事を一生懸命やってみる。そして、ひとりで楽しめる趣味を見つける。寂しさを他人で埋め合わせしない。泣きたくなったら、むやみに誰かを呼びつけるのではなく、とっとと寝る。

そうやって、ひとりに対する適応能力を上げていけばいくほど、精神も安定し、日々が健やかになった。ひとりの生活をいとおしいと思えるようになった。かつて俳優の蒼井優さんが「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要」という名言を残しましたが、そこで言うと僕は誰といるときの自分も好きじゃない。ひとりでいるときの自分がいちばん好きだということに長い時間をかけてやっと気づいたのだ。

 

今はもう「恋愛」はこの穏やかな暮らしを脅かす不確定因子にすら見える。ババ引きのジョーカーみたいなものだ。わざわざジョーカーを引きたいとは思わない。だから決めた、自分の人生に「恋愛」はいらないと。

 

だけど、こういうことを話すと「傷つくことに臆病になっているだけじゃないかな」とカウンセラー顔して諭されてしまう。あるいは「モテない人間の強がりじゃない?」と冷めた目で突き放されてしまう。

この社会は今のところ「恋愛」することが標準で、40歳を過ぎても独身の人間は何かしら問題があるというのが定説としてまかり通っている。確かに、人と適切な関係を築けないこの性質は欠陥と言えば欠陥なのかもしれない。結婚して、子どもを持ち、年賀状やらお歳暮やらを送ってくる友人を見ると、「ちゃんとしてるなあ」と僕も思う。

でも、どんなものにも向き不向きがあって。合う合わないは人それぞれ。僕には「恋愛」が向いてないし、ひとりが合っている。ただそれだけなのだ。

ジョーカーのないババ引きがつまらないように、「恋愛」がない人生は味気ないのかもしれない。何かを損している気もしなくはない。だけど、人生に容量があるとしたら、空白になっている「恋愛」の項目を代わりに埋めてくれているいくつもの楽しみに僕は感謝しているし、ひとりで幸せになれる自分を褒めてあげたいとも思う。

そして、そうやって「恋愛」がなくてもちゃんと生きていけることを証明したくて、僕はこんな文章を書いているのかもしれない。
 

イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

 

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