そもそも、人権は「政治的な好み」の問題ではない


日本では、差別に反対することを「政治的だから」と避ける人が少なくありません。政治的という言葉を広義で捉えれば、個人が社会で生きていく上で直面する全ての問題は、その社会をどのように運営するかという問題に密接に繋がっているのだから、個人的なことは全て政治的と言えます。私はこの立場をとっています。
しかし、どうも「政治的」という言葉をもっと狭い意味で考えている人が多いように思います。あなたも「政治的な問題=政治の好みの問題」だと思っていませんか。

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そんな人には、ぜひわかってほしいです。差別など人権に関わる問題は、あなたの考えるところの「政治的な」問題ではありません。「どの政党に肩入れし、誰を貶して誰を褒めるのか」という問題ではないのです。人権問題とは、人の命をどう扱うかということです。あなたの命をどう扱うかということでもあります。差別に反対するということは、誰が政治を担おうが、どんな政党が支持を集めようが、全ての人の命には誰も侵すことができない絶対的な価値があると訴えることなのです。

 

人権教育が浸透していない日本では多くの人が誤解していますが、人権は自分のものです。差別されている人や少数者を“普通に扱ってあげる”ための限定的で特別な権利ではありません。偉い人に与えてもらうものでもありません。この世に生きる全員が生まれながらに持っているもので、誰も侵すことが許されないものです。あなたも私も知らない人も、皆同じように持っているものなのです。
もしあなたが今、人権なんてまるで意識しないでこれを読んでいるなら、それはまさにあなたの人権が誰にも侵害されず、尊重されているおかげです。だから呑気に、私には関係ないなー、意識高い人たち乙! と思って暮らしていられるのですね。