「若すぎるママとは話が合わないね」20歳の母の孤独
「私は本来、行動力もあり活動的な性格で。夫がいなくても生後半年の息子と2人でディズニーランドへ行ったり、それなりに子育てを楽しんでいたと思うのですが……あるとき突然、何もできなくなったんです」
ご自身でも戸惑ったそうですが、身体も気持ちも重く、まったく動く気がしない。無意識に急に涙が出るなどの症状があり、小百合さんは文字通り「何もできなくなってしまった」と言います。
「もちろん、息子のお世話だけはなんとかやっていましたが、外出もできず、1日中家に籠るようになりました。さすがに自分でおかしいと思って調べたら、鬱の症状に当てはまることが多くて。夫にも相談しましたが、『家にいて楽な暮らしをしてるのに甘えてる』と不機嫌になり、あまり話を聞いてもらえませんでした」
その後、危機感を持った小百合さんは重い腰を上げて病院へ行くと、病名はやはり「産後うつ」。ご自身が思っていたより深刻な状況で、抗うつ剤を服用することになりました。すると、義母にうつが治るまで一緒に暮らそうと提案されたのです。
「義母の提案はとてもありがたく、言葉に甘えることにしました。義母はもともと面倒見がよく、いい人だと思います。彼の実家に住む間、『もう一切何もしないで寝ていていい』と言われ、育児も身の回りのこともすべてやってくれました。その甲斐あって私も回復したし、この間は、夫も優しかった」
小百合さんのお話を聞いていると、夫の対応とは別に、そもそも子育てを母親1人でこなすのは無理がありすぎると思ってしまいます。専業主婦だとしても、少しでも目を離したら命の危険がある乳児に24時間1人で対応するのはほとんど限界で、それが母親の義務だと認識されるのはそろそろ止めにして欲しいと切に願ってしまいます。
ちなみに当時の小百合さんは、「夫は仕事、妻は育児と家事」という夫の価値観、そして夫が育児にまったく関わらないことを「そういうものなんだ」と受け入れていたそう。というのも、彼女には悩みを共有できる他者や場所がありませんでした。ゆえに、シッターさんや託児所を使う発想などもなかったそうです。
「あの頃は、赤ちゃんの息子を別にすれば、いつも1人でした。同年代の友人は遊び盛りの時期であまりに環境が違い、疎遠になっていました。ママ友にしても、年代が違うとうまく溶け込めなくて。
一度、地域のママの集まりイベントに行ったことがありますが、『若すぎるママとは話が合わないね』と、おそらく悪気はなく言われたことがあり、ショックで苦手意識が出てしまい……以来、ママの集まりへ行くこともやめてしまいました。SNSも今ほど流行っていなかった頃で、思い返せば本当に孤独でした」
家庭という閉ざされた環境で育児に専念し、社会と交流を持てなくなると、自分の辛さや理不尽な環境にいることもうまく判断ができなくなってしまうのだと思います。ましてや、小百合さんはこのときまだ20歳。
義母の助けがあったのは不幸中の幸いと思いますが、1人でこの環境に抗うのは難しかったと予想されます。夫の実家でしばし安心できる環境に身を置いた小百合さんは心身ともに回復し始めましたが、なんとこのとき、第2子の妊娠が発覚。
夫婦で元の家に戻ることになりましたが、夫は小百合さんへの態度や生活を改めることはなく、彼女の苦労はさらに重くなってしまうのです……。
来週公開の続きでは、妊娠中にさらにエスカレートした夫のモラハラ、そして痛ましいDVにまで発展してしまった経験を語っていただきます。
取材・文・構成/山本理沙
Comment