これしきなんでもねえや、と思った夜。でもいつまで一人で頑張れるかな
こうも想像する。ヘロヘロで帰宅すると「おかえり」と夫が玄関を開けてくれる。すごい雷の時は一緒に稲妻を鑑賞する。出先でお菓子を買って帰って一緒に食べる。自転車のタイヤの空気を入れてもらう(今はすっかり抜けていて乗れない)。ベランダに鳥が来たから静かに! と教えたり、ひまわりが芽を出したと言って見せたり。それって……素敵じゃないか。
「人間のいちばんの幸せってなんだと思う? 喜びをシェアすることだよ」という友人の言葉を思い出す。彼女は長らく一人暮らしだったが、今はパートナーと家族を築いている。そのきっかけが「シェアこそが幸せ」という気づきだったのだと。尊い話である。当然、喜びのシェアのために同居を選ぶと、空間や時間のシェアが伴う。寝室と風呂とトイレが8つずつある家でもない限り、ある程度の干渉や煩わしさは避けられない。それも幸せの雑音と思えばいいのか。そういえば港区の超高級集合住宅の広大な一室に夫婦で暮らしている知人は、家の中で「今どこ?」とスマホで互いに所在確認をすると言っていた。「じゃあ7時にダイニングでね」とか自宅内で待ち合わせをするんだろうか。倒れても、見つけてもらうのに時間がかかりそうだ。警察犬を飼ったほうがいい。
先日、電車の中で不意にパニック発作に襲われた。もともと不安障害持ちなので慣れてはいるが、数年ぶりの大きな発作だった。引っ越しの疲れが出たのか、更年期のせいか。過呼吸と動悸と強い不安感で冷や汗が止まらない。薬を飲み、しゃがみ込んで凌いで、なんとか下車してベンチにたどり着いた。発作が落ち着くまで人気のない夜のホームで20分ほど過ごし、駅前にタクシーを呼んで帰宅した。玄関に座り込んで「慶子さん、よく頑張った! 偉かった!」と絶賛したけど、さすがにその夜はつくづく一人が辛かった。コロナ禍だってひとりぼっちで生き延びたんだから、これしきなんでもねえやと思いつつ、衰えていく体でいつまで一人で頑張れるかなとも思った。
という話を夫にしたら、「まだ50代じゃないか!」と彼はなぜか元気一杯である。「俺は便所の100ワット」と自称するほど無駄に明るくて楽天的な性分で、「子育ても終わったし、これからまた新しいこともできるね。楽しみだなー」とか言っている。そうだった。私はこの100ワットの明るさに惹かれてくっついたカブトムシだった。脳がお喋りなもので、つい考えすぎて悲観的になりがちな私だが、元々の気質は陽気なので、明かりで体があったまるとそっちが活性化する。それで元気にブンブン飛び回れるというわけだ。けど時々夫に「おい裸電球、ときには照度を落として内省しろ」と言いたくなる。「心の闇をないことにしている限り、進化できねえぞ」とかね。じゃあ向こうはなんで考えすぎのカブトムシなんかに関わっているのかと聞いてみると「面白いから」という。若い時から一貫して同じ答えである。この「面白いから」という理由は「かわいいから」「優しいから」よりも相手への興味関心が持続しそうな感じではある。
20年ぶりの二人暮らしは面白いのか。間近で能天気に光られて、疲れやしないのか。そういえば私が新居の寝室で寝落ちしない理由の一つは、天井につけたちょっとおしゃれな照明器具に間違って昼光色の100ワット電球をつけたからなのだった。ガラス製のシェードが重くて、自力で取り替えるには手間がかかるからそのままにしてある。眩しい。消すには一度起き上がらなくちゃならないがめんどくさい。夜なのに昼間の光に照らされて、眩しいよ、寝れねえよとぼやいている。なんでそんな電球をつけたかって、一人暮らしで寝室が暗いと気持ちが落ち込むんじゃないかと思ったのだ。人間100ワットが引っ越してきたら、まずはこの電球を60ワットに替えてもらおう。それでも、家の中は前より明るくなるだろう。
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