「子どもを生んで、母乳で育てた」せいで、激変してしまった乳房を立て直すため、豊胸手術への思いに取りつかれる39歳の巻子。そんな母を嫌悪しながら、「私を生まなよかったやんか」と罪悪感を覚える12歳の娘・緑子。ふたりの対立を前に、巻子の30歳の妹・夏子は、「きれいな胸は、幸せに繋がるもの」と漠然と理解しつつも、考えます。もしかしたら、何かもっと具体的な理由があるのでは?
10年前の芥川賞作品『乳と卵』の登場人物たちの葛藤に、著者の川上未映子さんは言います「確かに女性は、社会の価値観を“内面化”しているところは多いですよね」。最新作『夏物語』は、新たにリブートした『乳と卵』を第一部として、その8~10年後を第二部として描いた二部構成の作品。そこに描かれる時代のキーワード「内面化」とは?

 
 

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“夜泣きにあたふたするお母さん”が無意識に刷り込まれていた


7年前に出産からの育児を経験した川上さん。執筆や連載などの仕事を中断することなく働いていた、その当時のことをこんな風に振り返ります。

「例えば、夜中に息子が泣き出すじゃないですか。子どもを産んだばかりで身体は疲弊しているのに、それでも私がパッと起き上がって抱っこして、別の部屋に行って「なんとか収めなきゃ」なんて焦っていた。今の私ならそんなこと思いません。なんであなたは起きないの?っていう話だけど、当時は疑問に思わなかった。それがなぜかと言えば“夜泣きにあたふたするお母さん”という場面が、完全に刷り込まれているからなんですよね」

確かに、ドラマや映画や文学などで目にする世界で、そして自分たちが生まれ育ち、現在の周囲にある環境で、 “夜泣きにあたふたするお父さん”といった場面は、ほとんど見たことがありません。子どもがいない女性であっても、例えば合コンでなんとなく率先してサラダを取り分ける、履きたくもないヒールを履く、といったものであれば経験したことがあるでしょう。深く考えもせず自然なことのように、時には自分が望んでいることのように思っていることは、社会が要請する価値や規範を無意識に受け入れている=「内面化」しているだけかもしれません。

そんなことを思いつつ『夏物語』の第一部を読むと、それまで感じなかったものが見えてきます。


「ほんまのこというて」
12歳の緑子の「女らしさ」への嫌悪と違和感


物語は、大阪の巻子&緑子の母娘が、東京に住む夏子のもとにやってくるところから始まります。目的は、巻子の豊胸手術の術前診断。手術への思いに取りつかれしゃべり続ける巻子と、笑うことも憐れむことも憚られるようなその真剣さに、ただタジタジとする夏子とのやり取りは、テンポのいい大阪弁と相俟って笑いの連続です――もしそこに、思春期特有の切実さで、この半年間巻子と口をきいていない緑子の存在がなければ。

夏子が語る物語の合間には、無言の緑子が感じているモヤモヤが、日記のように綴られてゆきます。例えばこんなふうに。

「だいたい本に書かれてる生理は、なんかいい感じに書かれすぎてるような気がする。(中略)生理をまだしらん人に、生理ってこういうもんやからこう思いなさよってことのような気がする」

「アメリカのほうにあるどっかのくにでは、自分とこの娘が15歳になったら豊胸手術を、そこのお父さんがプレゼントすることがあるっていうのをテレビで見て、まじで意味がわからん」

「胸ふくらますヤツを入れて、おっきい胸にするんやって。信じられへん。だいたい何のためによ?(中略)切る手術やで。ざっくり切るんやで。切ったところから押し込んでいくんやで。いたいんやで」

 
 

12歳の緑子は、周囲からの刷り込みに揺れ、母への罪悪感と嫌悪感に苦しみながら、「ほんまのこというて」と巻子に斬り付けます。

そうした刷り込みの通りに生きることができないが故に、覚えてしまう彼女の違和感や罪悪感は、二部の夏子へと引き継がれてゆきます。巻子の豊胸手術を出発点に、自分は「“欲望される女らしい体”とは縁がない」と考えていたことを再確認した夏子は、40歳を目前に、それでも「自分の子どもに会いたい」という思いを抑えることができなくなります。

「『乳と卵』を『夏物語』の第一部にしたのは、10年前のあの三人にもう一度出てきてもらって、女性の身体の変化をしっかりと描きたかったから。彼女たちがどんな風に生きてきたのかを知ってもらって、今も貧乏でほとんど無職で親になるための条件がほとんど揃っていない夏子が、それでも自分の子どもに会ってみたいと思ってしまう気持ちを、読者と共有したかったんです」

 
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