—— 送迎のヘルパーさんが見つからないって、とても大変なことなのではないでしょうか?

じつは娘が高校生になった今でも、送迎については綱渡りです。

小学校に入る前は、午前中は療育施設に、午後から保育園に通っていました。療育施設から保育園までの送迎は、移動支援のヘルパーさんにお世話になっていたのですが、その事業者さんに、送迎は居住区内限定と言われてしまったのです。

愛育学園は区外のため、新しい事業者さん探しに奔走しました。

ようやく見つけても、娘の障がいに理解がなく解約せざるを得なくなったり、倒産してしまったり。体調不良などの理由で、急にヘルパーさんが稼働できなくなることもあります。

年単位で人繰りの予定を立ててはいますが、寸前に変更となり、そこからあわてて別の方を探したり、親戚や知り合いにお願いしたり……。その都度、送迎の調整が生じています。


—— 愛育学園は水曜日がお休みなんですね。

娘が通い始めたころは、水曜日はお休みで、土曜日に学校がありました。しかし働く親が増えたことなどもあり、水曜日も学校があるようになり、代わりに土曜日がお休みになりました。娘がまもなく卒業するころのことでした。

【障がい児を育てながら働く⑨】父親を「認知」できなくなってしまった娘。そして日々綱渡りな、学校→放課後等デイサービスへの「移動手段の確保」_img0
愛育学園の通信簿がわりのアルバムより。入学後も登校するとトランポリンに一目散。どんどん上手にとべるようになりました。

愛育学園は、幼稚部から小学部までの全校児童20人ほどの小さな学校です。面談のときにお目にかかった教頭先生が、1年間、娘の担任になってくださいました。ご縁のあった教頭先生には毎朝、教室で数分ほど、ありとあらゆる育児の相談にのっていただきました。経験豊富な先生方とお話できたのは今も財産です。

 


—— 学校が休みの日は、どのように過ごされていましたか?

当時の娘は多動で、まばたきを3回すると見失ってしまうほどでした。キックボードが好きで、全速力で気の向く方向に行ってしまうので、追いかけるのに苦労しました。

そのため、週末や祝日に、幼い次女と多動な長女が安全に共に過ごせる場が見つからず……。閑散とした職場にもよく連れて行きました。というのも、会社には長い通路があり、子どもたちを見失う心配がなかったからです。

さすがに長居はできませんでしたが、ほっとできるひとときでした。

—— まばたき3回で見失ってしまうとは……。本当に目が離せませんね。

警察にお世話になったこともありました。

夏休み期間のことでした。出勤前の朝、私はゴミ出しにバタバタと玄関から出た後、戻って鍵をかけ忘れたまま、娘たちのお弁当作りに夢中になっていました。10分ほど経過し、はっと気づいたときには、娘は家から出て行方不明になっていたのです。