ヒャンスク(ハ・ヨンス)もまた中年の壁にぶち当たっていました。彼女を悩ませるのは、愛娘の薫(池田朱那)。偏見の目から自身と家族を守るため、日本名を名乗り、朝鮮人であることを隠し続けてきたヒャンスク。そんな母を、「安全な場所に、加害者側に立って、今までずっと見て見ぬふりをしてきたってことじゃない」と薫はなじります。
ヒャンスクからすれば、そのときそのときで最善と思える選択をとって懸命に生きてきただけ。でも、それが次の世代には保身に見える。
これは肝に銘じておかなければいけないことですが、中年になることは「次の世代から復讐される立場に回った」ということです。
自分たちは、自分たちの思う正義を追いかけていただけ。でも、時代が変わると、かつての正義は権威的で、保守的で、卑怯で、怠慢なものとなる。
薫が一顧だにせず母を糾弾できるのは、ヒャンスクの受けた朝鮮人差別の酷さを知らないから。そしてそれは、ヒャンスクが盾となって薫を守ったからです。でも、守られている側は自分が「安全な場所」にいることにさえ気づかず「安全な場所」にいる人を非難する。私たちにもきっと同じことが言えると思います。
ふと思い出すのが、「名誉男性」なる言葉。私たちがもう少し若かった頃、男社会に同化し、男尊女卑的な価値観に染まった女性を「名誉男性」と呼び、「名誉男性」化した先輩を毛嫌いしていた時期というのがあったように感じます。もちろん鬱陶しかったのは事実。そう思う分には仕方ない。
でも、たぶん「名誉男性」的な先輩たちはそうやって振る舞うことでしか、今よりずっと男女差別の激しい社会の中で生き残ることができなかった。彼女たちなりの処世術で、それもよくわかっているから否定はしたくないんだけど、だからといってこんな方法しか生き残る術がないのは地獄にも程がある。
安全と呼ぶにはあまりにも難があるけれど、とはいえ先人たちが道を切り開いてくれたおかげで、ひとまず歩ける程度には舗装された道の上で、より安全そうに見える場所にいる「名誉男性」的な先輩を複雑な思いで見つめていました。
そんな私たちも立派な中年となり、いよいよ自分たちの振る舞いを次の世代に採点されるフェーズに入りました。「名誉男性」的な振る舞いはしていないつもり。だからといって、自分たちのやってきたことが100点満点だとは思わない。今の若い子たちに、自分たちはどう映るんだろう。かつて自分が先輩を見てそっと目を伏せたように、あんなふうにはなりたくないと眉をひそめられているのだろうか。
「はて?」を切り札に爆進した時期はとうに過ぎ去り、最近は作り笑顔で場をおさめ、まだまだ血気盛んな朋一(井上祐貴)の疑問をなんとなく聞こえのいい言葉で丸め込んでしまっているようにも見える寅子を見ながら、「君もいつかは古くなる」という穂高の言葉が耳の奥でこだまするのでした。
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