2018.3.29

いまこそ知りたい、米沢の歴史と伝統を訪ねて【from米沢サテライト】

上杉氏の城下町として知られる米沢では、米沢織といった産業とともに、上杉家の誇りと武士の精神が今も脈々と受け継がれています。この街を語るうえで欠かせない歴史と伝統について、お二人の方にインタビューしました。

現代に通用する名君・鷹山公のリーダーシップ

 

米沢のみなさんとお話しすると決まって出るのが、江戸中期の藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)公の名前。およそ400年前の人物が、今もこんなに人々から慕われているのはなぜでしょう? その理由を、上杉神社 禰宜(ねぎ)・大乗寺真二さんに教えていただきました。

「上杉鷹山公は領土返上の危機にあった米沢藩を改革し、見事立て直した人物。かのジョン・F・ケネディ米大統領が尊敬していたというエピソードでも有名です。一般には藩祖の上杉謙信が知られていますが、米沢織や鯉の養殖など功績が多いので、地元では鷹山公のほうが人気ですね」

上杉家は関ヶ原の戦いで敗戦したのを機に会津120万石から米沢30万石へ移りますが、華美な生活を変えられず、莫大な借金を抱えて領土返上もやむなしの状態。そんななかで家督を継いだ鷹山公は、先代からの家老たちと厳しく対立しながらも改革に乗り出します。

上杉神社境内の上杉鷹山公像。横には有名な『成せばなる 成さねばならぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり』の句碑が。銅像はこのほかにもあり、地元の方にいかに愛されているかがわかります

「すでに戦もない時代で鷹山公は“藩民の生活を豊かにすることが国の繁栄になる”と信じ、質素倹約をみずから実践。周囲の制止を押し切り、鍬を持って畑にも出たといいます。それを見た藩民たちは勇気づけられ、仕事に精を出したはず。自分が動くことで藩民のやる気を引き出した鷹山公は、優れた経営者の一面を持っていたのでは」

20万両(現代換算で約200億円)の莫大な借金も、晩年を迎える頃にはほぼ完済していたとか。教育、産業振興など財政以外の功績も多く、江戸時代に約4000人いた藩主のなかでも5本の指に入る名君といわれています。

面白いお話をたくさん聞かせてくれた大乗寺さん。「米沢には“そんぴん”という言葉があります。頑固者という意味ですが、これは米沢人の気質ですね。職人肌で言葉ベタ、自信があるものも“わかる人にわかればいい”と宣伝もしない。でも、そうやって堅実な商売を続けたからこそ昔の産業が今も残っているし、老舗も多いんだと思います」

「鷹山公のような偉人は、きっとこの貧乏な藩でなければ生まれなかったと思います。不遇だったからこそどう生きるかを考え、努力した。人間はいい時よりも悪い時にこそ、その真価が問われるんですね」

鷹山公は次期藩主の治広に家督を譲る際に贈った『伝国の辞』で、“国を私物化してはならない”とも説いているとか。何かと行き詰まっているこの時代にこそ求められるリーダー像を、ここ米沢の地で発見しました!


「上杉神社」
住所:米沢市丸の内1-4-13
tel. 0238-22-3189