いまこそ知りたい、米沢の歴史と伝統を訪ねて【from米沢サテライト】
上杉氏の城下町として知られる米沢では、米沢織といった産業とともに、上杉家の誇りと武士の精神が今も脈々と受け継がれています。この街を語るうえで欠かせない歴史と伝統について、お二人の方にインタビューしました。
現代に通用する名君・鷹山公のリーダーシップ
米沢のみなさんとお話しすると決まって出るのが、江戸中期の藩主・上杉鷹山(うえすぎようざん)公の名前。およそ400年前の人物が、今もこんなに人々から慕われているのはなぜでしょう? その理由を、上杉神社 禰宜(ねぎ)・大乗寺真二さんに教えていただきました。
「上杉鷹山公は領土返上の危機にあった米沢藩を改革し、見事立て直した人物。かのジョン・F・ケネディ米大統領が尊敬していたというエピソードでも有名です。一般には藩祖の上杉謙信が知られていますが、米沢織や鯉の養殖など功績が多いので、地元では鷹山公のほうが人気ですね」
上杉家は関ヶ原の戦いで敗戦したのを機に会津120万石から米沢30万石へ移りますが、華美な生活を変えられず、莫大な借金を抱えて領土返上もやむなしの状態。そんななかで家督を継いだ鷹山公は、先代からの家老たちと厳しく対立しながらも改革に乗り出します。
「すでに戦もない時代で鷹山公は“藩民の生活を豊かにすることが国の繁栄になる”と信じ、質素倹約をみずから実践。周囲の制止を押し切り、鍬を持って畑にも出たといいます。それを見た藩民たちは勇気づけられ、仕事に精を出したはず。自分が動くことで藩民のやる気を引き出した鷹山公は、優れた経営者の一面を持っていたのでは」
20万両(現代換算で約200億円)の莫大な借金も、晩年を迎える頃にはほぼ完済していたとか。教育、産業振興など財政以外の功績も多く、江戸時代に約4000人いた藩主のなかでも5本の指に入る名君といわれています。
「鷹山公のような偉人は、きっとこの貧乏な藩でなければ生まれなかったと思います。不遇だったからこそどう生きるかを考え、努力した。人間はいい時よりも悪い時にこそ、その真価が問われるんですね」
鷹山公は次期藩主の治広に家督を譲る際に贈った『伝国の辞』で、“国を私物化してはならない”とも説いているとか。何かと行き詰まっているこの時代にこそ求められるリーダー像を、ここ米沢の地で発見しました!
「上杉神社」
住所:米沢市丸の内1-4-13
tel. 0238-22-3189
- 1
- 2
Comment