いまこそ知りたい、米沢の歴史と伝統を訪ねて【from米沢サテライト】

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歴史の語りべ。刺し子が伝える名もなき人々の思い

 

まだ布が貴重だった時代に、衣服の補強や修繕のために広まった刺し子。なかでも米沢の『原方(はらかた)刺し子』は、武家の妻だけに受け継がれたという独特のものです。刺し子作家の遠藤きよ子さんに、このような手工芸が生まれた背景、また刺し子が現代に伝えるメッセージをうかがいました。

「昔、ここを治めていた米沢藩は大変に貧しかったもんで、武士へのお給金が出なかったの。みんなその日の食べ物にも困る生活で、武士にとっての制服である裃(かみしも)も、すり切れたら直し、破れたらまた直してね。そういう生活のなかで生まれたのがこの原方刺し子なんです。
普通、刺し子といったら農家のお嫁さんがやるもので、家事と畑仕事の合間に済ませないといけないから、当て布をしてひたすら直線で縫うだけ。けど武家の奥方じゃ畑に出たくても出られないし、何より武士としての誇りがあるから、時間をかけて絹織物と同じ模様を縫い付けたのね」

武家の誇りは模様にもよく表れており、例えば原方刺し子でよく使われる六角形は、武士の制服である裃の亀甲柄がもとに。また、全部で56種類ある柄のいくつかからは、人々の心のうちが垣間見えます。

「縁取りの鎖(くさり)縫いは、“みんなで手を取り合って頑張ろう”という意味があるの。きっと厳しい環境の中で、ほかへ逃げ出す人もいたんだろうね。とはいえ本音を言えば、みんなもっと楽な暮らしがしたかったはず。そういう口には出せない思いも、柄の一つひとつに込めたの。『銭型』は“お金が欲しい”、『米刺し』は“粟やひえよりお米が食べたい”って気持ち。当時の人が今の私たちの生活を見たら、食べ物を粗末にするなってきっと怒られるよねえ」

当時を伝えるものがもう一つ。『かてもの』(写真は復刻版)は、9代藩主・上杉鷹山公の命により食用できる雑草や薬草などを一冊にまとめたもの。その中の一つ“うこぎ”は、米沢の伝統野菜として今でもよく食べられています

冬の時代と、その中で守り抜いた武士の誇り。一針一針にさまざまな思いが込められた原方刺し子そのものが、米沢の“歴史の語りべ”といえるでしょう。しかし、これを受け継いでいるのは現在では遠藤さんただ一人。遠藤さんが始めた時には、伝統工芸としてはほとんど廃れてしまっていたのだとか。

遠藤さんは現在78歳、刺し子歴40年の大ベテランです。「刺し子は機屋だった頃に問屋さんの注文で仕方なく始めたのだけど、品物を納めたら“これでお金を取る気か”と叱られてね。逆にそれで一念発起したの。お姑さんと目を合わせないのにも、都合が良かったしね(笑)」

これまでの作品が飾られたご自宅のギャラリーにて。着物のような大作になると、製作期間は数年に及ぶとか。

「私は米沢の歴史を研究していた大学の先生に教わったけど、その先生ももう亡くなられているし、米沢は大正6年、8年と二度の大火があって、資料になるようなものは何も残ってないんです。だったら自分で残すしかないと、今はそういう気持ちで続けています。柄の由来や昔の人たちの思いを知ったら、これは次の世代にも伝えていかなきゃと思うようになってね」

優れた芸術性が国内外から高く評価されている遠藤さん。こちらは、世界の伝統的な藍染めと刺繍についてまとめた本に掲載された時のもの。
もとは機屋さんだったというご自宅は築100年、訪問時にはまだ雪囲いが。趣のある建物からも米沢の暮らしがうかがえます

現在は多数の生徒さんを抱え、体験教室なども行っているそう。原方刺し子の素晴らしさとともに、米沢の礎を築いた人々の思いがこれからも伝えられていくことを願うばかりです。 


「刺し子工房 創匠庵」
住所:米沢市門東町1-1-11
tel. 0238-23-0509

10:00〜17:00 不定休
入館料250円(中学生以下200円)

※刺し子体験は要予約

撮影/編集部(ギータ青年) 取材・文/山崎恵
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