光野桃「美の眼、日々の眼」

2017.2.7

愛を受けとる

ミモレ編集部から贈られた花束。可愛い小花と思っていたら、自宅で大輪に花開き、生き生きとしたエネルギーを放っていました。さすがミモレ!

先月、ミモレ編集部の2周年記念パーティーに出席しました。

皆さんとなごやかにお話していると、会場の明かりがスッと消えました。何か余興があるのかしら、と思っているうちに、厨房から大皿にデコレーションされた素敵なケーキが、ろうそくを灯して現れました。

ケーキを携えたお店の方がわたしの前に立ち、それが差し出された時も、まだ何が起こっているのかわかりませんでした。

担当の川良さんがにこにこしてやってきて、大草編集長から輝く笑顔とともに花束を贈られて、やっとこれがサプライズだということがわかりました。この日は、わたしの61回めの誕生日だったのです。

サプライズをしてもらうことも、仕事の場で祝ってもらうことも、ましてやいろいろな立場の方がいらっしゃるパーティーでお祝いをいただくことも、生まれて初めてのことでした。

声が出ないほど驚き、挨拶を、とマイクを渡されても、すぐには言葉が出ず、いまも何を話したか、思い出すことができません。

家に帰り、お土産にいただいた可愛い紅白饅頭と砂糖菓子のような透明ピンクの花束を眺めながら、やっと実感が湧いてきました。

ただただ感謝の気持ちと喜び、そしてもうひとつ、自分が変わったのだ、ということでした。

子どもの頃から、わたしはひとからの親切や愛情を受けとることが苦手でした。ひとのために尽くしたり、愛することは比較的らくにできるのですが、何かをしてもらったり好意を示されると、どうしていいかわからなくなってしまうのです。

その根底にあるものは自己評価の低さと、自分はひとに好かれない、という思い込みでした。

コミュニケーション不全ともいえるこの問題とは、思春期から中年になるまでの長い年月、悩み、もがき、格闘してきました。

わたしの様子を見かねて、友人のセラピストが「ひとの好意を受けとるレッスン講座」まで開いてくれるほど。

彼女が言うには、仕事や家庭に一生懸命の頑張り屋で、責任感が強く、何でも自分でやろうとする完璧主義の女性にその傾向が強いそう。それは、まさにわたしでした。

でも、いつしか変化していたのですね。50代でたくさんの病気をして、諦める、立ち止まる、ということを知りました。おしゃれしたくても脱ぎ着が大変で試着できない、何をやるにも以前の倍以上の時間がかかる、などなど、この15年で弱くなった自分と、いやおうなしに向き合わざるをえなくなりました。

弱さやできないことを受け入れ、思うようにならないこともすぐ解決しようとせず、とりあえずふんわり抱えて様子を見る。

そんなふうに過ごしていくうちに、わたしの中にがっちりと根を下ろしていた頑なさが、いつの間にかやわらいだのかもしれません。

胸を開き、両手を大きく広げて、やって来る愛や思いやりをただ素直に、感謝して受けとる。返さなければ、とか、自分にはその資格がない、などと思わずに。

特別に努力したり改善したりしなくても、誰しもただ生きて、歳を重ねることで、そんな境地に辿り着くのではないでしょうか。

愛を受けとるーーそれは、女のひとが本来もっている最高最大の美質だな、とあらためて気づかされた夜でした。