光野桃「美の眼、日々の眼」

2017.3.21

トイレのダーラナ家族

我が家の小さなトイレの壁面に嵌めこまれた手洗いの縁に、娘がダーラナホースの家族を並べています。

大学4年の終わり、下宿を引き上げて娘が家に戻ってくることになったとき、今度こそしっかり家事を躾けなくては、とわたしは手ぐすね引いて待ちかまえていました。

鉄は熱いうちに打て、とはよく言ったもので、子どもの躾にも最適な時期というものがあるのだと思います。

まだ小さな時に、親とキッチンに立ったり、掃除の工夫を楽しめた子どもは、いとも簡単に家事を身につけてしまうのではないでしょうか。

けれどわたしは、人生でもっとも仕事の忙しい時期が、子どもの幼少期にあたっていました。

毎日、仕事に追われ、くたくたに疲れて、何とか必要最低限の家事をやっつけるので精いっぱい。

頭のなかでは風邪薬のコマーシャルのように、親子が一緒に過ごす時間の可愛い情景が浮かんでいても、現実は眉間に皺を寄せ、帰宅するや否や着替えもせずにイライラと家事をする。子どものペースを尊重しながら教え、待ち、共に行うことは、とても無理な状況でした。

案の定、娘は見事に「ぱなし」女となり、下宿は床が見えない汚部屋状態、さすがのわたしも怒る気力が萎えるほど。

これはしっかり監督下に置き、一から躾直しするしかない、と思って待っていましたが、実家に帰った安心感と、上手くいかない就活の疲れとで、娘は眠ってばかりです。

家事をやれやらない、の攻防戦が毎日勃発、うちの中の空気がこれ以上なく荒んできた頃、ついにわたしも白旗を上げ、娘に提案しました。

なにかひとつでいいから毎日、決めたことをやりなさい。

そう言うと、意外なことに、あっさりトイレ掃除、との答えが返ってきました。

その日の夜、遅く戻ると娘はもう二階の自室にいて、一階は明かりが消えていました。

掃除を言いつけたことも忘れてトイレに入ると、意外なものが目に飛び込んできました。

壁に取り付けた小さな洗面台の上に、馬の家族が並んでいたのです。

この馬は、スエーデンのダーラナ地方というところで作られている「ダーラナホース」という伝統的な木馬で、わたしが好きで少しずつ集めているものです。

オレンジが父、白に飾りが母、小さいのは子ども、となんとなくそんな恰好で、普段は水洗タンクの上に飾っていました。

細い洗面台の縁に移動した馬たちは、ちびの仔馬を真ん中に、お父さんとお母さんが両側から向き合うように置かれていました。

それを目にした瞬間、わたしは胸を衝かれました。

娘の幼少期、躾の前にもっとやるべきことがあった。たっぷりとコミュニケーションをとり、スキンシップをするべきだった。

土台がなければ、その上に何かを築くことはできません。もっとも親が必要な時期に、わたしは十分な関わりを娘に与えてやれなかったのです。

馬の家族は無言のうちに、彼女の心のなかにずっと積もっていたさみしさを表しているように見えました。

ダーラナホースたちは、娘が掃除をするたびに並べ替えられました。

あるときはお父さんを先頭に一列に並んで行進、またあるときはお母さんと子どもが鼻面を寄せるように向き合い、お父さんが少し離れて、そしてあるときは親子三人がぎゅっとくっつきあって…。

それから3年ほどが経ち、最初の頃のさみしい色合いの強い並べ方から、いつの間にか仔馬が安心して親から離れているように見える位置に置かれることが多くなってきました。

「あの馬さ、どういう感じで並べているの?」ある時、娘に訊いてみました。

「まず、子どもを一番重く考えているのね。子どもがどうしたいか、を考えて最初に場所を決めて、あとは親馬を並べていくんだよ」

掃除の最後に、狭いトイレの中で、馬の家族のストーリーを考えながら並べている娘の姿を想像すると、おかしくもあり切なくもあり、複雑な感情が込み上げてきます。

そろそろ結婚も視野に入ってきて、しかし、またぞろ家事全般躾直し、と焦りそうになるのを戒め、人一倍ゆっくりの娘のペースに合った暮らし方を一緒に考えていこう、と自分に言い聞かせています。

トイレのダーラナ家族のように、つかず離れず、でも心はいつも娘を抱きしめながら。