2017.9.5

えっ、わたしって子離れできてなかったの!? ~娘がおとなになりまして 其の一

連載していた講談社の雑誌「フラウ」のエッセイページに出た時の娘、6年生の写真。イギリスから来た写真家は、まだ親も友だちも知らなかった娘の隠れた一面を写し撮ってくれた。それは真っ直ぐなまなざしを持つ意志的な顔だった。当時、なにもかもがダメダメだった娘に、こんな顔があったとは…と驚き、担任の先生に長文の手紙を添えて「フラウ」を送った。親ばかと言われても構わない、真の娘をどうか見出してください、と。何よりわたし自身が、初めて見る娘の表情に学ばされていました。

バッグよし、服よし、靴よし、髪の毛よし。心のなかでチェックして、玄関を出る娘を見送ったのは、8月半ばのことでした。

娘にとって人生初の一大イベント、おつきあいしている方のご実家へ、泊りがけで遊びに行くのです。

もういい年頃のおとなですから、本来ならば何の不思議もありません。

とはいえ、結婚を前提としたおつきあいは初めてのこと。

今年の春ごろに出会い、あれよあれよという間に、結婚を考えていること、夏休みに彼の実家に泊まりにいく旅を計画していることを聞かされました。

はいはい、いいよ、もうおとなだもの。でも、結婚はよーく考えてね。ちゃんとある程度、おつきあいしてから結論を出した方がいいよ。

すると娘はゲラゲラ笑いながら「なに言っちゃってんの、自分だって二カ月でオトウと婚約したくせに。わたしらもう四カ月経ってるもん、倍ですよ、倍!」

しまった! うかつに自分のことを話すべきじゃなかった、と思いましたが時すでに遅し。

幼い頃から折に触れ、夫婦のなれ初めや新婚当時のことを訊きたがる娘に、いい気になってペラペラしゃべってしまったことを悔やみました。

愛を知ってほしいけれど…

わたしはお見合いした相手と2か月で婚約しました。いまから30年ほど前のことです。

お見合いの場合、当時としては決して早くない婚約でしたが、直観的に、すぐ「現場」に入ったほうがいい、と感じたのです。

現場とは、結婚生活のこと。当時、編集者として会社勤めをしていましたが、仕事が昼夜兼行の忙しさである上に、わがままな変わり者である自分は、協調性を問われる結婚というものに本来向かないであろうことを予感していました。

ふわふわとデートを重ねる余裕はない、早く現場に入り、実戦で叩き上げなければ、というのが率直な気持ちでした。

しかし、娘にはまた違う願いを持っていました。

人は何のために生まれてくるのか、と問われれば、それは愛を知るためだと思うのです。

愛すること、愛されることーー生きるとは、それに尽きるのではないでしょうか。

結婚という形をとらなくてもいい。形など何でもいい。ただ、誰かを心底、愛する経験をしてほしい。

そして願わくば、愛されてほしい。親でも友達でもなく、異性に愛される喜びと切なさを知ってほしい。

そしてさらに欲を出すなら、幼い頃から交通事故の後遺症に苦しみながら果敢に生き抜いてきた娘を、わたしがいなくなってからも抱きしめてくれるひとに巡り合ってほしい、と。

そんな日が本当にくるのだろうか。

30歳が近づくにつれ、諦めも生まれてきました。このまま、ひとりのまま一生終わってしまうのではないだろうか。

それはあまりに残念だ、と思いながらも、それでもいい、娘が選んだ人生なのだから、と少しだけホッとしている自分も確かにいたのだと思います。

気が動転したまま「彼氏さん」に会う

今の若いひとたちは、恋人のことを第三者に話すとき「彼氏さん」と言うんですね。恋人とか彼とか、そういう言葉のニュアンスに照れるのでしょうか。

さて、夏休みの旅について、「彼氏さん」から、親御さんに許可を取りたいので会いたい、と娘を通して連絡がありました。

まだ20代なのにしっかりしているなあ、と自分が若かった時のことを思い出しました。

25歳くらいまで、仕事もしましたが遊びにも夢中で、異性と外泊したり旅に出るのは当たり前、いちいち親に言うなど考えられなかった青春時代。

いまは世の中全体が、良くも悪くも過保護になっているのでしょう。とはいえ、そんな彼の思いやりに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになりました。

でも、正直、会いたい気持ちと会いたくない気持ちは半々。気が動転したまま、待ち合わせの時間が迫ってきます。

約束したカフェの前で、彼はかわいそうなほど緊張して立っていました。娘を見ると、いつも通りののほほんとした様子です。

テーブルにつき、丁寧な口調で旅の計画を話す年下の彼氏さんと、その隣に座る娘を見て、ありゃまあ、と思いました。

ふたりが10年も連れ添った夫婦のように落ち着いて見えたからです。

運命のひと、などという言葉は軽々しく感じますが、あまりにぴたりと合った二人のオーラに、こりゃ結婚まっしぐらかも、とわたしも覚悟を決めました。

その夜、ハハ一睡もできず

まだ婚約もしていないのに、相手のご両親の家に行き、泊まってしまうという大胆不敵な行動は、自分だったらとても考えられません。

娘は非常にネガティブな一面があるかと思えば、あまり神経質にならずに相手の懐に飛び込む人懐こい性質もあり、そこがわたしとはまったく違うところです。

しかし、なににつけ抜かりある娘の旅支度に、つい口を出し過ぎてケンカになります。

旅立つ前夜、「裸足は絶対ダメだよ、バッグはテーブルや椅子の上に置かず床に置くこと、パジャマ姿でウロウロしないでよ、使った後のトイレ、お風呂場、洗面所は振り返って指さし確認、いいね!」と言い聞かせ、またかよ、とうんざり顔の娘に、あらためて「躾からなかった…」と心のなかで敗北宣言。

娘よ、それが「現場」なのだよ。結婚とはラブラブにあらず、相手のお家がもれなくついてくる「生活」であり「一挙手一投足」の積み重ねなのだから。

婚家での気の利いた社交や立ち居振る舞いがまったくできない嫁であった自分を思い、遠く北国で待つ彼のご両親と上手く心通わせられますように、と手を合わせるような気持ちで送り出しました。

その夜、ほとんど一睡もできず、朝を迎えました。

もちろん娘からは何の連絡も、着いた、の一言もありません。

粗相をしてないか、気働きができないことを呆れられていないか、と気にかかり、ええかっこしいの自分にうんざりしたり、若い頃、あなたを信じている、といつも親に言われていたことを思い出したり、なぜか自分の子ども時代と、娘との過ぎ去りし日々が頭の中をぐるぐる巡って、目は冴えわたるばかり。

そして一番びっくりしたことは、遠くない将来、娘が結婚して家を出るという目の前の現実に、かつてない寂しさを覚えているということでした。

えーっ、ウソでしょ。わたしってまだ子離れできてなかったの!?

留学中も、帰国後の学生時代も、娘と離れて暮らす日々に心配はあっても、寂しさを感じたことはありません。

理由のつかない薄青い紗のような寂しさが、ふわりと心を覆ったことに、わたし自身が戸惑っていました。(次週につづく)

【編集部からのお知らせ】
光野桃さんの年に一度の朗読ライブが9月24日(日)に開催されます!

編集部の川良です。いつも『美の眼、日々の眼』をご愛読頂き、またたくさんコメントをお寄せ頂きまして、ありがとうございます。先週に引き続き、光野さんにお会いできるスペシャルな会のお知らせです。

光野桃さんが2008年から2016年まで続けてきたイベント「桃の庭」。そこから引き継いだ朗読ライブが9月24日(日)に開催されることになりました。今年は、ギタリストの諏訪光風さんのソロライブで朗読のために描きおろしたエッセイ「女神たち」を読まれるそうです。

光野さんにお会いしたい方、直接お話しになりたい方はとても貴重な機会ですので、ぜひふるってご応募ください。

光野さんのコメント>>
「眼で読む文は頭に入り、耳で聴く文は心に入る、と言われています。人間の声に最も近い周波数のギターの音色と、静かな朗読に、夏の疲れを癒していただけたら、と思っています。

いつものイベントの大きな会場とは違い、ライブハウスではお客様と近くでお話しできるのが楽しみです。トークもたっぷり。ぜひいらしてくださいね」

諏訪光風ギターソロライブ~旅の記憶
★日時 9月24日(日) 13時開場 13時30分開演
★会場 カフェ エクレルシ
小田急線祖師ヶ谷大蔵駅下車徒歩2分
★料金 3500円(ワンドリンクオーダー)
★お申し込み、お問い合わせ koufuuyoyaku@yahoo.co.jp