こんにちは!
先週末、暖かい日差しの中をお散歩していたら、梅や桜が咲いているのを発見しました。春はもうすぐそこ!ですね。
さて、今日はいつもの介護のお話から、少し寄り道をしたいと思います。
昨年末、参加している〔ミモレ編集室〕の課題として、私は友人にとあるインタビューを行いました。そこでなかなか興味深いお話を聞くことができたので、こちらでもご紹介させてください。

もともと私は本が好きで、読むことも書くことも大好き。そのせいか、言葉というものにとても興味がありました。
人は何かを伝えるとき、言葉という手段を使っています。
その逆に、誰かの伝えたいことも、その大部分を言葉で受け取っています。
人と人を繋ぐ言葉。
人はコトバでどう繋がるの?
こんなクエスチョンを、インタビューを通して探っていきたいと思います。
【二言語で育った彼女がコトバより大切にしていること】
インタビューの相手は、私の友人、萌さんです。
幼少期をアメリカで過ごした彼女は、日本語も英語も話せるいわゆるバイリンガル。文法はきちんと学んでいないから苦手、ビジネス英語も馴染みがない、と言いながら、先日初めて受けたTOEICはさらりと970点。
彼女と私は高校の同級生として知り合い、かれこれ20年以上のお付き合いです。実は私、日本語の彼女と、英語の彼女に、少し違った一面を感じていました。
二言語で育った彼女にとって、言葉とは、人との繋がりにどんな影響を与えるものなのでしょうか。
さぁ、コトバにまつわるお喋りの、はじまりはじまり……。
「コミュニケーションの“野生の勘”を身につけたのかも」
悠:萌は2歳からアメリカのニュージャージーにいたんだよね。
萌:そうそう。それですぐ3歳になって。
悠:じゃあそうすると1番古い記憶って、英語を喋っているの?
萌:うーん、でも家では日本語だったから。ただ家族以外の初めての社会経験みたいなものは英語だよ。
悠:それはナーサリースクール(幼稚園や保育園にあたる場所)ってやつ?先生も、向こうの人ってこと?
萌:そうなの。完全に向こうの学校で、日本語が出来る人がいるわけでもなく、いきなりポンッとそこに行ったんだよね。急に放り込まれて、「なんだここは?」って思ったはずで。1日目はとりあえずずっと泣いていたんだって。親から離れるのも初めてだし、何言ってるか全然分からない人たちばっかりだし……。
悠:戸惑いが止まらない!
萌:そうそう。多分びっくりしたんだと思うけど、お母さんがちゃんと迎えに来るっていうことが分かって、次の日からは、ぱったり泣かなかったらしいのよ。でも笑うようになるまでは、3ヶ月くらいかかったみたい。先生が「今日萌が初めて笑ったの~!」って言ってた、って。
悠:よほど先生の印象に残っていたんだね。
萌:多分すごく様子を見て、おとなしくしていたのかしらね……。一生懸命観察して、「うーん何が起きてるのかな?」って。最初のその数ヶ月は、やっぱりそれなりにカルチャーショックと闘って。でも多分そこで、私のコミュニケーションの「野生の勘」を身につけたのかも。

悠:小学校は現地校だったんだよね?萌以外にもアジア系の子や日本人がいたの?
萌:少なかったと思う。日本人の友達がいても、別に日本語でわざわざ喋るっていうことも無かったと思う。 英語で生きてたんじゃないかなぁ。
悠:そうなんだね。授業とか、クラスの中でいっぱい発言もしてたのかな。
萌:そう思う。日本の学校よりも、みんなの前に立って発表するとか、そういう機会も多かった。普通にそれが当たり前だと思ってて。
その後彼女は、アメリカの小学校で3年生を終えて、日本に帰国します。新たなカルチャーショックを受けつつも、言葉の壁は少なく、周囲の環境にも恵まれ、次第にみんなの輪の中へ。
また英語に関しては、帰国子女を対象とした英会話スクールに通うなど、忘れてしまわないような環境作りをしてもらっていたといいます。
「足し算は日本語で、引き算は英語で」
萌:私、日本に帰ってきたばかりの頃、足し算は日本語で考えていたけど、引き算は英語で考えていたの。
悠:どういうこと!?(笑)
萌:(笑)もう今となっては、すべてが日本語ベースになっているから分からないんだけど、数を逆に数えるのが英語だったのかなぁ……?なんかね、やりやすいものと、やりにくいものがあった。そういう変な回路はいろいろあったはず、小さい頃は。
悠:へ~面白い!それって数字だけ?考えていることとかは?例えば、最初に英語で考えて、日本語に置き換えるとか……。
萌:あ、置き換えたりはしてない。日本語のことをやっているときは日本語で考えてるし、英語のことをやっているときは英語で考えてる、っていう切り替えだと思う。
悠:なるほど。じゃあ喋るときも、きっとそういうことか。面白い!

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