「超ヒット『ギンギラギニ』原曲者登場」
11月11日、韓国でこんなタイトルのYouTubeがアップされました。『ギンギラギニ』の原曲者とは、『ギンギラギンにさりげなく』を歌ったマッチこと近藤真彦。韓国のケーブルテレビ局MBNの『韓日トップテンショー』に出演したのです。マッチが韓国のテレビに出たのは初めてのこと。YouTubeのコメント欄は、「韓国のテレビにマッチが出るなんて。まさに生きる伝説」「世の中はすごく変わったね……。期待満タンです」など思いがあふれる言葉で埋め尽くされました。
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韓国のケーブルテレビ局MBN『韓日トップテンショー』近藤真彦出演回の予告編
番組で歌うマッチをYouTubeで見ながら、筆者は34年前にソウルで目撃した光景を思い出しました。繁華街のクラブのような空間で、韓国の若者たちが『ギンギラギンにさりげなく』を踊っていたのです。当時、日本の歌は韓国で公には流れていなかったにもかかわらず。
今年6月にはNewJeansのハニが東京ドームで歌った松田聖子の『青い珊瑚礁』が話題をさらった韓国。昨年12月にはX JAPANのYOSHIKIがTOMORROW X TOGETHERをはじめとするK-POPアーティストたちと『ENDLESS RAIN』のコラボステージを披露するなど、昭和・平成歌謡とK-POPのコラボも増えています。
実はこれらの曲は、特にミドルエイジの韓国人にとって特別な意味があるのです。現地の人たちに話を聞いてその理由を探りつつ、韓国におけるJ-POPの歴史をたどってみました。
NewJeansハニが歌った松田聖子の『青い珊瑚礁』、リアルタイムで聴いていた韓国人はごく一部
今年6月27日。あの時、あの場所で『青い珊瑚礁』を聴くことができたのは、まさにうれしいサプライズでした。東京ドームで開催されたNewJeansファンミーティング「Bunnies Camp 2024 Tokyo Dome」。ボーダーシャツに白いスカート、ボブヘアーのハニがステージに立つと、懐かしいメロディーが。ああこれは、みんな大好き、『青い珊瑚礁』。筆者の横の席のNewJeansおじさん風の男性も、前の席の母娘もペンライトを振って跳ねる、跳ねる。太い声のかけ声に包まれて、ドームが一気に80年代にスリップした瞬間でした。
「100回以上YouTubeで観て、頭の中をメロディーがぐるぐる回り続けています」
「会社でみんな『青い珊瑚礁』の話をしていますよ」
ハニの『青い珊瑚礁』がニュースで報じられた直後、ソウルに住む韓国人の友人たちから、続々とメッセージが届きました。友人たちはみな、40代半ば~50代半ば。日本でいえば、子どもの頃、聖子ちゃんに熱狂した世代です。ところが、私の周りの韓国人で80年代当時に松田聖子を知っていたという人は、皆無でした。
「僕たちの世代では、松田聖子を知らないのが正常。知っていたのは、ごく一部の人です」
こう教えてくれたのは、K-POP人気指標集計サイト「K-POP RADER」を運営するSpace Oddity代表のキム・ホンギさん(48歳)。「80年代序盤の韓国では、日本の歌を聴く正規のルートがなかった。ラジオで日本の曲をかけるのはNGだったし、日本のカセットテープを公式的に売るのも禁止でした」。
1945年の第二次世界大戦終戦後、日本の植民地から独立した韓国では日本の音楽は「規制」されていました。具体的には、韓国のテレビで日本語の歌詞を放送したり、公演で日本語で歌ったりすることは、厳格な規制によって許可されていませんでした。ちなみに、韓国のコラムニスト、イ・イルヨン氏の記事によると、1965年の日韓国交正常化後、初めて韓国で公式に歌った日本の歌手は「およげ! たいやきくん」の子門真人。1978年の第1回ソウル国際歌謡祭に日本代表として参加した時のことでしたが、披露したのは「たいやきくん」ではなく英語歌詞の「Face of Love」という曲でした。
韓国でテレビの電波で日本語の歌が初めて流れたのは、ソウルオリンピックが開催された1988年。「オリンピック30日前祝祭」に参加した少女隊が、香港、マレーシアの歌手と「KOREA」という曲を歌いつなぐなかで、日本語で歌唱したのです。わずか30秒間のことでしたが、当時、「韓国でタブーの日本語の歌、少女隊が歌っちゃった」という見出しで日本でも報じられています(「朝日新聞」1988年8月19日付)。
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