こんにちは、エディターの昼田です。
私の髪はくせが強くて、毛量も多め。寝起きはもっと爆発してひどいんですが、このぐちゃぐちゃ感をとてつもなく愛しています(笑)。長い間、コンプレックスでしかなかった髪との関係性が変わったことで、私の世界は180度変わりました。それについては本に書いたとおり。20年以上服を見てきた立場として自信を持って言いたいことですが、大事なのは服ではなくて「髪型」ですから。
私の本がきっかけで髪型を変えていく方にもたくさんお会いします。みなさん、どんどん垢抜けていくんですよね。 「今までは鏡を見るのがイヤだったんですけど、最近は見るのが楽しみで!」とおっしゃる方は、数ヶ月前にお会いした時とは別人のようでした!
そんなご報告を聞くのがとても嬉しいです。
さて、私の髪は”難あり”ですから、カットする方も大変だと思います。
だけど不思議なことに今の美容室に変えてから仕上がりに不満をもったことがないんですよ。つまり髪型の失敗がなくなったんです。
昔からそうだったわけではなく、こんな髪質ですから思い通りにならないことがほとんど。
いつも”イマイチ”なんですよ。美容室に行った翌日が一番嫌いでした。
それが服捨てを機に、髪型の失敗がなくなったのはなぜ!?
美容師さんがうまいから? もちろんあると思います。
分析してみるとね、失敗しかなかった昔と今、決定的に違うことがあるんです。
それは、「私の意識」です。
今は「私がこの人(美容師)を選んでいる」という強い意思があるんですよね。
以前は美容室を選んだのは自分であるにも関わらず、大丈夫? 切りすぎてない? 心配になって美容師の手元から目が離せませんでした。根底にあるのは選んでおきながら信用していない。これって選んでいるようで、選びきれていない状態なんですよ。だから仕上がりに納得できないと美容師さんのせいにしてしまっていました。
そうじゃない。
「選ぶ」というのは、そのあと起こるすべての責任を自分で引き受けるつもりがあるってこと。
「選ぶ」ことへの意識が変わったのは、「服捨て」の賜物です(笑)。
服を捨てることを「選ぶ」。手放した先に何が起ころうとも、一切を引き受ける覚悟。たかだか一枚の服ですけど、そうやって何度も腹を括ってきたんですよね。選択という行為そのものが、弓で自分の中心に当てていくような真剣な行為なのです。
全身全霊を注いで覚悟を決めて「選択する」けれど、結果に対しては淡々とする。
違ったら違ったでいい。違った自分を楽しんでみるもよし、イヤなら別の選択をすればいいだけ。そんなスタンスでしょうか。
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