他人から見たら失笑もの。こんな目に遭わないに越したことはない

だけど私には、夫がグルグルに縛られているのが見えた。縛られながら「エヘヘ大丈夫大丈夫、ボク強いから」と笑っている弱い人が見えた。廃墟になったテーマパークで、ボロボロの着ぐるみを着てヒーローショーをやり続けているのが見えた。だから「脱いじまえそんな着ぐるみ! あたしはヒーローショーなんか見たかねえ、生身のあんたといたいんだ。その廃墟から出てきて現実を生きろ」と言い続けた。「とうっ、ボクちん強いぞ!」の独りよがりの決め技なんかやめろ。とっととその被り物を脱いで、ちゃんとこの世を見て!

赤子のために結婚を維持…夫婦ってはた目には滑稽な地獄絵図かもしれない。【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

かつてそのテーマパークには、熱心な観客たちがいたのだろう。子どもだった彼は観客の期待と声援に応えてヒーローショーをやっているうちに、自分をヒーローだと信じ込むようになった。時の経過とともに観客は消えたのだけど、彼にはまだ最前席の幽霊が見えている。私には、もうすっかり小さくなったボロボロのヒーロースーツを着て、灰色の世界で踊り続ける孤独な中年男の姿が見えた。あいつをそこから連れ出さなければと思った。あまりにも悲しくて、馬鹿げた光景だったから。

 

幻想から出てこられなくなった男の自己愛愚行に魂を殺されながら「そんなところから出てこいや!」と呼びかけるのが愛じゃなかったらなんだろう。ねえ、こうして夜中に赤ん坊抱いて、あなたに質問している私のこの執念はなにゆえだと思うの。今まであなたにそこまでして関わろうとした人間がいたのかよ、と私は訴えた。

どうです、なかなかの地獄絵図でしょう。つまりはどっちもどっちのバカ夫婦に見えるでしょう。しかし、あなたもそうではないか。一体こういう修羅場を踏んでいない夫婦がどれほどあるだろうか。他人から見たら失笑ものの滑稽な修羅場で、ちっぽけな人生のなけなしの痛みやら傷跡やらを持ち出してどっちがより可哀想かを争うようなバカ夫婦が、この世にはゴロゴロ転がっている。そういう愚かな暗いトンネルを一緒に潜る相手なんて、一生に何人いるだろう。

そんな目に遭わなくていいならそれに越したことはない。だけど生きていれば、望んでもいないのにそんな目に遭ってしまう。二度と経験したくないつらい出来事だった。でも、その相手が彼であって良かったと、今の私は思っている。愛は遅効性だ。そして毒にも薬にもならない。ただ、生きていると誰かと関わってしまうというどうしようもなさを、その哀切と豊穣を、時間をかけて教えてくれるものなのだと思う。


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