エッセイスト・小島慶子さんが夫婦関係のあやを綴ります。

夫婦は他人だけど「特別な二人」。離婚も考えた私たちは、見知らぬ二人から一体何になり、この先はどう変わっていくのか【小島慶子】_img0
 

「複合語、compoundというのは、二つの言葉をただくっつけただけではないのです。二つが一つになって全く新たな意味を持つということです」ある哲学の研究者がそう教えてくれた。単に言葉の問題ではなく、関係するとはそういうことだ(と私は理解した)。

おしどりと夫婦で、おしどり夫婦。当然鳥類のつがいのことを指すのではなくて、仲睦まじい人間の夫婦の様子をいう(けどオシドリは全然おしどり夫婦じゃなくて毎年パートナーを変えるらしい)。夫婦と茶碗で、めおと茶碗。当然どっかの夫婦の湯呑みを指すのではなくて、大小一組で売っている湯呑みをいう。

 

複合語じゃないが、日本は世界で唯一、夫婦が同じ苗字にしなくてはいけない国である。苗字を変えるのはほぼ女性の方である。自分の名前が他人と混ざる。しかも大抵は他人の名前の方で呼ばれることになる。田中太郎と小島慶子が結婚して、かたっぽは田中太郎のままでもう一方は田中慶子になる。田中慶子は田中という男と慶子という女を並べた「田中・慶子」というコンビ名ではない。「田中慶子」という新たな人格が誕生するのだ。区役所とか病院とか、今まで小島さんと呼ばれていた場所で「田中さーん」と呼ばれるようになる。公的な記録からは小島慶子が消え去る。旧姓使用は「世を渡る仮の姿」である。

夫婦は他人だけど「特別な二人」。離婚も考えた私たちは、見知らぬ二人から一体何になり、この先はどう変わっていくのか【小島慶子】_img1
写真:Shutterstock

それがどうしても嫌だ、めちゃくちゃ不便で大迷惑だという人が多いから、名前を混ぜないでも夫婦になれるようにしようやというのが選択的夫婦別姓制度だ。「家族が壊れるから」と言って反対する人がいるが、同じ苗字でもすでに多くのカップルが離婚している。名前が混ざらないと家族が壊れる気がして不安になるのは、自分は何かと混ざらないで済むと思っている人間の感覚だろう。苗字を変えた配偶者には自分の成分が半分混ざっているので所有しているつもりで安心できるのだろうが、配偶者が「純度100%の私がいいのだ。お前と混ぜないでくれ」と言い張るのは、気に食わないし安心できないということだろう。

私は、混ざりたかった。とにかく自分が嫌で仕方がなかったので、何かに混ざって代謝されて消えてしまいたかった。だから、他人の苗字を名乗るのはワクワクした。ニューミーが手に入るなんて、いいじゃんと思った。

そしたら一族がついてきた。親戚付き合いの極めて希薄な環境で育った私には最初それはとても新鮮でいいものに思えた。でも最初だけだった。