『虎に翼』がなぜ従来の朝ドラファンとは違う層まで熱を伝播させることができたのか。理由は、ひとえに「怒り」を分かち合えたからのような気がします。寅子(伊藤沙莉)の「はて?」に代表される、疑問や違和感から生じる強い怒り。それが時代を超え、今を生きる人に突き刺さったから、たくさんの人々が連帯した。国旗を背に熱弁をふるう首長のように、寅子の言葉に聴衆が拳を掲げた。『虎に翼』が唱えたのは、私たちはもっと怒ってもいいんだという解放宣言でした。
けれど、今、『虎に翼』はそれだけではないものを描きつつある気がします。第15・16週を振り返りながら、『虎に翼』が分かち合おうとしているものは何かを考えてみたいと思います。
強者の怒りは、もうレジスタンスには映らない
ここ数週にわたって寅子の言動にさまざまなハレーションが巻き起こりました。家族の心が離れつつあることにまるで気づかず仕事に邁進する寅子と、寅子の出演するラジオ番組の音を消して、ひとり残り物の漬物を食む花江(森田望智)。ざっくり分けると、この二者のどちらにつくかで視聴者は大別され、さながら外で働く者と家を守る者の代理戦争に。けれど、これはいわゆる「バリキャリVS専業主婦」というこすり尽くされてきた対立構造とはまたちょっと違います。
要は、大衆というのは「権力を持った側の人間」に共感しづらくなるものなのです。最初は味方だと思っていても、立場が上がっていくにつれて、徐々に遠い存在となり、いつの間にか心が離れる。庶民派で売っていた政治家が立身出世を遂げると、急にキャラクターが違って見えるのと同じです。権力にダメ出しする側だったはずが、ダメ出しされる側にまわっている。
だけど、寅子自身は変わらず自分を弱者側の人間だと思っていたから乖離が生まれた。強者の怒りは、もうレジスタンスには映らない。自分の「はて?」が威圧や横暴として受け取られることに、寅子は無自覚だったのかもしれません。
けれど、寅子はそれに気づいた。そして家族からの耳を塞ぎたくなるような批判の声を真っ正面から受け止めた。今さら権力のある立場から降りることはできない。だから、強者のまま、強者として、声を潰されがちな人たちに寄り添う方法を模索した。そんな寅子の「生まれ変わり」を描いたのが、第15週でした。
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