あれは小学5年生か、6年生のときだったろうか。教室で喧嘩が起きた。つかみ合いをしていたのは、クラスの中でもヤンチャな男子2人。喧嘩の原因がなんだったのかは知らない。ただ机の倒れる音にクラスの視線が一気に集まり、気づけば2人を囲んで人だかりができていた。
一方が馬乗りとなり、下になった男の子を殴りつける。拳の雨に降られながら、もう一方の男子が負け惜しみのように吐き捨てた。
「朝鮮人のくせに」
その瞬間、騒然としていた教室の空気が凍りついた。拳の雨はぴたりと止み、青筋を立てていた少年が、ただただ泣きそうな顔をして、うなだれた。遠くで蝉が声を上げている。
僕が初めて「差別」というものを目の当たりにした瞬間だった。
差別とは、自衛の手段なのか
今週の『虎に翼』を観ていると、そんな幼い日の記憶がふっと甦ってきました。涼子(桜井ユキ)と玉(羽瀬川なぎ)の清らかな友情を描いた第17週から一転、第18週は「人種差別」という重いテーマに。放火事件の容疑者として逮捕されたのは、朝鮮人・金顕洙(許秀哲)。警察官(水野智則)は「これらすけ朝鮮の連中は」とのたまい、判事補の入倉(岡部ひろき)ですら「また朝鮮人か。事件ばかり起こして困ったやつらですよ」と迷惑そうにため息をつく。
難しいのが、2人ともまるで悪気がありません。自分たちが差別をしているという意識さえない。寅子に咎められても、警察官は「怖いね〜。空回っているな」と陰口を叩き、入倉は「私は事実を言っただけです」と開き直る。差別というのは、明確な攻撃心から生まれるものとは限らない。人の意識に当たり前のものとして棲み着いているから厄介なのです。
入倉は「僕は綺麗事じゃなく、現実の話をしてるんですけどね」とも言いました。入倉だって、差別がいけないことくらいはわかっている。だけど、実際問題、迷惑を被っているのも事実だというのが入倉の主張。「俺は誰も虐げたことなんてない。普通でいるのに。敵扱いされて、睨まれて。そんな態度されちゃ、そりゃ彼らへの印象だって悪くなる」と本音をぶちまけます。
つまり、入倉にとっての差別は自衛の手段。自分に危害を与える可能性のある存在は、できる限り遠ざけたい。彼にとってこれは「差別」ではなく「区別」だと言いたいのかもしれません。
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