正直、この問題に簡単に答えを出せる人なんていないと思います。だって、こうした自衛としての差別は、現代でもあらゆるところで見受けられるから。いくら更生していると言われても、前科のある人が隣室に引っ越してきたら不安になるし、拘置所や刑務所の近くは家賃が安い。
『虎に翼』で繰り返し挙げられている男女差別もそうです。男性の中には、自分は女性を差別したことがないと主張したい人も多いでしょう。なのに、自分も同罪のように扱われ、夜道を何気なく歩いていたら、目の前の女性にまるで性犯罪者のような目で見られる。そこから、ミソジニーを肥大化させていったケースも少なくないように思えます。逆に女性だって身を守るためには、過剰と言われようと警戒するしかない。何かあってからでは遅いし、そのときに助けてくれる人がいるとは限らないのです。
入倉の言っていることにモヤモヤはします。だけど、簡単に「正しくない」と断罪できる人がいるとしたら、僕はそちらのほうが信用できない。誰の心にも、差別と偏見の種は植えられているのです。
だからこそ、つい土から顔を出しそうになる差別と偏見の芽を、私たちは自らの手で摘み取っていかなければいけない。総力戦研究所に在籍していた航一(岡田将生)は戦争を止められなかった後悔をずっと抱えていました。いくら重責を負っていたとはいえ、航一たちに戦争を止めるだけの力があったとは思えない。彼が殊更自分を責める必要はありません。でもだからと言って、自分に責任がなかったと居直るのも違う。
戦争や差別といった巨大な社会の中で起きることに対して、個人は無力です。しかし、その社会とは個人の集合体でもある。自分のせいではないけれど、自分たちのせいである物事を私たちはどう引き取るべきなのか。社会の当事者としての態度を改めて考えさられるようなストーリーでした。
差別的な発言に「NO」と言える人になるために
ここでもう一度、昔話をさせてください。小学生の頃、道徳の授業で部落差別について学んだことがありました。その中で、ある男の子が先生に尋ねたのです。
「どうして部落のことを教えるんでしょうか。僕は今まで部落というものがあること自体知らなかった。知らなければ差別なんてしなかったのに。知ってしまうことで、逆に差別が生まれるんじゃないでしょうか」
確かに、生まれたての赤ん坊は差別なんてしません。成長の過程で「あそこの家の子とは遊んではいけません」と親に言われたり、「男は女より優秀であるべきだ」と叩き込まれることで、差別意識が生まれる。「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」というアインシュタインの有名な言葉がある通り、人の成長とは差別と偏見の獲得の歴史と言い換えてもいいのかもしれません。
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