でも大人になった今、じゃあ知らなければ差別は生まれないのかと問われたら、決してそんなことはないと言い切れます。むしろ無知によって広がる差別や偏見のほうが、きっと大きい。
たとえば、顕洙の放火事件。これはなぜ窃盗でも暴行でもなく、「放火」でなければならなかったのか。この「放火」とは、ひとつのメタファーだと捉えています。「火のないところに煙は立たぬ」は、差別をする側の常套句。根も葉もない噂話や根拠のない嫌疑を、まるで当人に落ち度があるようになすりつけるときに、人はこの言葉を使います。
けれど、放火事件の犯人は顕洙ではなかった。火のないところに火をつけて、この煙はお前の日頃の行いが悪いからだと糾弾するのが差別であり、本人のいないところでその人の身の上について語られることを寅子が繰り返し嫌うのは、そうした噂が差別の発生源になることを本能的に理解しているからのように思えました。
噂話をする人は、決して当人に確かめようとはしません。何も知らないのに、知ったような顔をする。その知ったかぶりが肥料となって、差別と偏見の芽はぐんぐん茎を伸ばしていく。生い茂る枝葉を剪定するには、一次情報にあたるしかありません。つまり、それが知ることなのです。
朝鮮人への差別心をむき出しにする入倉に、航一は関東大震災の話をします。流言飛語によって多くの朝鮮人が虐殺された歴史を教えることで、憶測の恐ろしさを入倉に知ってもらったのでした。歴史は、同じ過ちを繰り返さないためにある。だから、やっぱり知らなくてはいけない。
個人が戦争を食い止める方法は、正直自分にはまだわかりません。でも差別に関しては、歴史を知り、本人を知ることで、止められる。崔香淑(ハ・ヨンス)のことを知っている視聴者は、きっと誰も「朝鮮人は」なんて大きな主語で物事を語らない。
僕が20代の頃は嫌韓ブームも手伝って、周りに冗談めかして「チョン」と口にする人もいました。そして、未熟だった僕もその場の空気に流されて笑うことがありました。でも今はそんな冗談、ちっとも面白いと思えないし、同じ場に遭遇したら、今度はちゃんと「そういう言い方は良くない」と言える人でありたい。そこには間違いなく寅子の影響があります。
多忙な毎日の中で、知ることはとても難しい。なるべく難しいことを考えたくない、というのが疲弊した現代人の本音です。でも、こうしたドラマが知らなかったことを知るきっかけとなる。だから、僕はこんなにもエンタメを追い続けているのかもしれません。
NHK 連続テレビ小説『虎に翼』
出演:伊藤沙莉
石田ゆり子 岡部たかし 仲野太賀 森田望智 上川周作
土居志央梨 桜井ユキ 平岩 紙 ハ・ヨンス 岩田剛典 戸塚純貴
松山ケンイチ 小林 薫
作:吉田恵里香
音楽:森優太
主題歌「さよーならまたいつか!」米津玄師
語り:尾野真千子
【放送予定】
総合:毎週月曜〜金曜8:00〜8:15、(再放送)毎週月曜〜金曜12:45〜13:00
BSプレミアム:毎週月曜〜金曜7:30〜7:45、(再放送)毎週土曜8:15〜9:30
BS4K:毎週月曜〜金曜7:30〜7:45、(再放送)毎週土曜10:15~11:30
※NHK+で1週間見逃し配信あり
文/横川良明
構成/山崎 恵
前回記事「『虎に翼』裁判官として力を得た寅子が「弱い立場の人に寄り添う」ことの難しさ。怒りだけでは“強者と弱者の溝”は埋まらない【横川良明の『虎に翼』隔週レビュー15•16週】」>>
Comment