祖母は私が来るのを毎回楽しみにしてくれていた。私も毎回、あと何回会えるだろうと思いながら会いにいった。最後に会ったのは昨年。コロナ禍が少し収まって、限定的な面会が再開されたというので、許された20分間の面会をするために、久しぶりに神戸に出向いた。
おばあちゃんは自力では歩けず車椅子だったが、まだ元気だった。ホッとした。思考もはっきりしていて、孫10人、ひ孫12人全員の名前に加え、私の夫やネコの名前もポンポン出てくる。持ち前のユーモアも健在だった。
「おばあちゃんな、108歳やねん」
「ん、107歳ちゃうかった?」
「ふふ、サバ読んでん」
施設内に友達はできたか尋ねると、
「あんまり話が合わへんねん」
「え、そうなん?」
「だって、みんな若いねんもん」
若いって! その時、祖母はその施設で最高齢。いやいや、そうだけれども、と笑った。20分はあっという間で、お別れに私と手を握り合って「美紀ちゃんとまた会えて幸せ!」と言ってくれた。叔母と私が帰る車を、ずっと手を振って見送ってくれた。それが私が見た、祖母の最後の姿だ。
そして、祖母は旅立った。今年も会いにいこう、会いにいこうと気になっていたのに行けず終いの残念さは大きい。電話が鳴って、叔母の番号が表示された瞬間、ピンと来た。
「おばちゃん? おばあちゃん?」
「そう」
「いやあ、そうか…でも108歳、おばあちゃんほんまに立派、大往生やね」
「うん、ほんまに立派。真っ赤なドレス着せて送り出してあげたいくらいやわ」
最後にもう一度会ってお別れしたくて、翌日、日帰りで神戸に会いにいった。しかし、そこには「魂の器」しかなかった。おばあちゃんはもう自由に飛び回っているのだ、と思った。抜け殻を見て、むしろ、生きている時のおばあちゃんのパワーの大きさを再確認した。
実は、まだ子供が欲しいと思っていた頃、ある有名な印店で印鑑を作っていただく機会に恵まれた。その時、印鑑と人を視る特殊能力があると言われていた店主から「あ、おばあちゃん生きてるんですか。なるほど、アナタに子どもが来ないのは、そのおばあちゃんが生きているからだよ。だから子どもの代わりにおばあちゃんのことを大事にしなさい。アナタはおばあちゃんの後継のような人だから」と言われた。その時は想いもよらぬ言葉にびっくりしたが、今はなんだかこうあるべきだったのだという納得感がある。
祖母は人としてかっこよかったし、かわいかったし、会うたびに爆笑させてくれた。私がどういう人でありたいか、どういう人に成り得るか、指針とお手本を示してくれた。
おばあちゃん、今まで本当にありがとう。陽のエネルギーとユーモア溢れる、ラテン系のおばあちゃんを誇りに思います。私はその魂の灯りが途絶えないよう、改めて受け継ぐ気持ちで50代からを生きていきます。どうぞ天国で、父と会ったり、うちのネコのさとちゃんと遊んであげたりしてね。
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