どれだけ教えてもらってもわからない


こどもが大きな声をあげたり、人が多いところでベビーカーを押していたりする時にお母さんたちが「すみません」と謝っている姿をよく見るけれど、私はそのお母さんの目の前に駆け寄って、両肩をぎゅわっと掴み、体育会系運動部の熱血な勢いでお伝えしたい。

「謝らなくていいですよ!!」と。

「もう金輪際『すみません』とか言う必要ないですよ!!」と。

「どれだけ周りから不快な顔をされても、舌打ちされても、ぶつかられても、蹴られても、文句を言われても、あなたが謝る必要なんて一切ないですよ!!」と。

 

だって、こどもが大きな声を出して泣いていても笑っていても、ちっとも迷惑じゃないし、当然やん。その場にいる全員がかつての自分を思い出して「元気でええなー。昔は私もおぎゃおぎゃしてたなーむふふ」と懐かしがって慈しんだらええやん。音の大きさとしてうるさいと感じる人がいるなら微笑んで自らその場を移動すればいいだけで、不快な顔をする必要なんて一切ないし、ナンセンスやし、母やこどもが堂々と元気を享受していて何が悪い。そんな反応をしてくる人に「すみません」と思ったり言ったりする労力がもう今のあなたにはもったいないよ。もうこれ以上ないぐらいの神の所業をやってのける、やってのけたあなたはもっと讃えられ、労われ、崇められるべきなのだということを肝に銘じて、堂々とお子とお過ごしください。


そもそも、人それぞれと言ってしまえばそれでおしまいやけど、お子にベビーカーや抱っこ紐が必要な時期なんて、母たちは本来まだまだ休めるだけ休みたい時期かもしれへん。もちろん、お産みになってすぐに「よっしゃー! 働くどー!」とばりばり活動される方もいるかもしれへん。そうせざるをえない方もいるかもしれへん。どちらにせよ、パートナーの方やベビーシッターさんや代わりに育児を務めてくれる方が、その時期の多くの移動家事育児を務めてサポートする体制が整っていたら安心かもしれへん。

そりゃ一概には言えないし、一人で産み、育てる母もいるわけで、それぞれがそれぞれにいろいろ事情があるのだろうと思うけれど、その事情なんてちっぽけになるぐらい社会の構造ごと、母とはもっと優遇されてほしい。

私は男性の体であるから余計にそう思います。一生、子を身籠ること、産むことがないから、わからないから、そう思います。男性の体である人が女性の体である人の前で「野球チームができるぐらいこどもが欲しい」と言っている姿とか、誰かが「こどもは何人欲しいですか?」という質問を男性の体である人に対してしている姿を見ると、それがどういう気持ちなのか私はよくわからなくなる。そもそも、男性の体である人が望んでいいことなのかどうかも私はまだわからへん。それを決めるのは最初から最後まで、女性の体である人が選択することだと思うから。

私は女性の体ではないから、わからないから、そう思います。
多めに考えて、多めに安否賛否の確認をしていきたいと思っています。それは女性に対してだけではなく、それぞれに違う身体の人たち全員に対して同じで、自分とは違う身体、感覚、ジェンダー、性だからこそ、多めに考えすぎるぐらい考えて、当の本人が「そこまでしてくれなくてもいいよ……」とちょっと遠慮したくなるぐらい、おなかいっぱいでもう食べられへんぐらいに労って、確認して、なにが必要なのか、なにが足りていないのか、自分とは違うから、わからへんからこそ、考えて考えて質問して、それからまたよく考えて、考えることをやめたらあかんのちゃうかと思います。

もちろん、いまも徐々に母や女性たちをサポートする体制が整ってきているところもあるけれど、長い間、男性が考えた男性による男性主体の社会構造だったのだから、もっともっと今まで声を上げられなかった、上げても聞き入れてもらえなかったいろんな身体である人の意見を真剣に多めに聞き入れて、それぞれの願いや希望を割と即行で叶えていってほしいと、これまで男性の体でイージーに生きてこれちゃったお涼は思うのです。

そんなわけで、私は川上未映子さんの「きみは赤ちゃん」を出会った方によくお贈りしています。おせっかいです。完全におせっかい配付です。でも、自分とは違う体や性の人について、妊娠出産育児について、知っておかなくてよかったことなんてないと思うねん。

「考えることをやめたらあかんのちゃうか」川上未映子さんのある本をいつも「おせっかい配付」しているわけ【坂口涼太郎エッセイ】_img0
写真:お涼さん提供

どれだけ知っても、どれだけ教えてもらっても、わからないから、わかれないから、私はフェミニストでありたい。そう自覚して行動していくことでやっと、「平等」の最初の一画目に線を入れることができるかもしれへん。

ああ、いまこれを読んでくれているあなたは間違いなく女性の体から生まれてきたんやね。そして、これからも私たちはいろんな身体と一緒に生きていくんやね。だから、このあと出会う誰かに対して、あなたなりのやり方で、それぞれに改めて平等の一画目に線を入れる心持ちで接してみませんか?

せーの!

「 ー 」 ぴっ。


<INFORMATION>
坂口涼太郎さん出演
映画「アンダーニンジャ」
2025年1月24日(金)公開予定

「考えることをやめたらあかんのちゃうか」川上未映子さんのある本をいつも「おせっかい配付」しているわけ【坂口涼太郎エッセイ】_img1
 

忍者は世界中に忍び、現代いまでも暗躍している。その数、約20万人――。
誰も観たことが無い“現代忍者エンターテインメント” が幕を開ける!!

太平洋戦争終結後、日本へ進駐したGHQが最初に命じたのは「忍者」組織の解体だった。それにより全ての忍者は消滅したかに見えたが、彼らは世界中のあらゆる機関に潜伏し、現代でも暗躍していた。その数は約20万人と言われている。忍者組織「NIN」に所属する末端忍者・雲隠九郎(下忍)。暇を持て余していた彼はある日、ある重大な “忍務” を言い渡される。それは戦後70年以上に渡り地下に潜り続けている、ある組織の動きを調べること。その名は――「アンダーニンジャ」。忍術、知略、そして最新テクノロジー。すべてを駆使した、かつてない戦いが今、始まる――‼

原作:花沢健吾「アンダーニンジャ」(講談社「ヤングマガジン」連載)
脚本・監督:福田雄一
プロデューサー:若松央樹、大澤恵、松橋真三、鈴木大造
 


文・スタイリング/坂口涼太郎
撮影/田上浩一
ヘア&メイク/齊藤琴絵
協力/ヒオカ
構成/坂口彩
 

「考えることをやめたらあかんのちゃうか」川上未映子さんのある本をいつも「おせっかい配付」しているわけ【坂口涼太郎エッセイ】_img2
 

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