オリンピック開催はあるのか、明日の私はどうなるのか…誰もが「確約」「答え」を得られない不確かな日々を送っています。占星術の世界では、この2020年に直面する、200年に一度とも言われる「風の時代」へ向けた大変化を予知していたと言われています。
今回は、月をベースにした独自の占星術メソッド「パワーウィッシュ」「ルナロジー」で大人気のKeikoさんに、占星術との出会いと人生への活かし方をお聞きしました。
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1. その都度、直感に従って今がある。
直感を活かすとは、自分を信じる力
編集部 Keikoさんは、13年間、広告代理店での会社員時代を経て、思い立ってお仕事を辞めて神戸に引っ越しを。神戸での生活のなかで、出会うべくして出会った人たちとのケミストリーがあって、今は超人気占星術師に!
Keiko 占星術を仕事につなげたいという意識も願いも、特にもってなかったんです。ただ、その都度、直感に従って動いてきただけ。歩むべき道には、宇宙のお膳立てがあるものかなと。だから、流れを感じたら、素直に乗っちゃうことをおすすめします。私が、占星術と出会ったのは6歳の頃ですね。地元の本屋に行ったら、目の前にバサッと一冊の本が落ちてきて。それが、占星術の本だった。開いてみると、そこにホロスコープが書いてあったのですが、何をどう見ればよいのか、不思議なことに分かったんですよね。
編集部 そのあたりは、なんだか魔法みたいですね!
Keiko ふふ。これは過去世の記憶とかの話になってしまうけど、まぁ、今まで見たこともないホロスコープが読めてしまったのは事実なのよね。今まで、あまりおおっぴらにしたことはないけど(笑)。でも、その少し前に私、宇宙人に “過去世”の回路を開いてもらったんです。そしたら、何千年も前のエジプトで、占星術をもとに王様に政治のアドバイスをしていた過去世が出てきたの。どうやらそのときに、占星術の記憶をダウンロードされたみたい。ホロスコープをはじめて見たのに読めたのは、そのおかげでしょうね。とはいえ、6歳って小学生。ホロコスコープが読めたからといって、何かできるわけでもなく。将来のことなんて何も考えてないですし。
編集部 その後、慶応義塾大学へ進まれて、在学中はフランスに留学されて政治学を専攻されていたとか。
Keiko はい。海外志向の強い両親のもと育ったというのもありますが、私、自分のことを日本人だと思ったことがなかったんです。子どもの頃から、日本人であることにずっと違和感を抱いていて。
編集部 それは、ご自身の“過去世”を知ったことも大きいでしょうか。
Keiko かもね。日本人に生まれたのが初めてのせいか、ずっとしっくり来なくて、「なんだかイマイチだな〜」なんて、思っていたんです(笑)。ところが、パリに留学した途端、びっくりするほど自分らしくなれて。当時付き合っていた恋人も外国人でしたし、海外のほうが性に合ってたんでしょうね。
その後、大学を卒業してすぐ、彼と一緒にオランダへ。しばらく2人でアムステルダムに住んでいたのですが、父の具合が悪いとの知らせを受け、帰国して就職しました。
編集部 Keikoさんは、昨年からお母さまと一緒に山形に住まわれていますよね。ご両親は大きな存在なんですね。
Keiko そうね。私にとって両親は、何ものにも代えがたい存在ですね。カルマとも呼んでいいかもしれないけど。私のご縁の入り口を示すドラゴンヘッド(未来への入り口)とドラゴンテイル(過去への入り口)は、家庭を司る蟹座と仕事を司る山羊座ですし。まぁ、私の場合はそれまで、自分の進路について両親から指示されたり強要されたりってことはまったくなくて。本当に自由に好きなようにさせてもらってたから、その恩返しの意味もあるかな。
編集部 就職先としての“電通”はどうでしたか?
Keiko 当時はバブル真っ只中で、どの業界もものすごく勢いのあった時代。その中でも、広告業界を牽引する“電通”は、群を抜いていて。「今いちばん勢いのある会社をこの目でみてみたい!」と希望して入社しました。そして、いざ働いてみると、その環境が私にはすごく合っていたようで、毎日がめちゃくちゃ楽しくて。それで、気づいたら13年の月日が流れていました。私が配属されたのは秘書室でしたが、人間関係についてはかなり勉強になりました。それぞれの役員に対して秘書がつくのだけど、1対1だから、ほとんど夫婦(笑)。管理部門の役員と営業担当の役員では秘書に求めるスキルや気づかいもまるで違うし、役員同士もある意味ライバルだから、それなりに配慮や気遣いが要求される。非常にデリケートな世界でした。人それぞれいろんな事情と思惑がある、ということを日々目の当たりにするわけですし。でも、人間関係は恵まれてましたね。ほんと、みんないい人達ばかりだった。
自分が会社員向きじゃないことは重々わかっていたけれど、でも、仕事の基礎を身につけることは大事でしょ。そのためには、会社勤めが必要だと思ったんです。10年くらいいればひと通りのことは学べるだろうと。あまりにも居心地がよくて、結局13年いちゃいましたけど(笑)。