ミモレブロガーとして大人気だった井筒麻三子さんの新連載がスタートします! いまや26万人フォロワーを誇るパリ在住YouTuberになった井筒さんですが、実は特にパリに興味も憧れもなく移住したのだとか。それでいて今ではすっかりハマっているというパリ暮らしの魅力を、毎週お届けしていただきます。

 


「私40代独身なんだけれど、海外移住は無謀かしら?」と尋ねられたら……大概の人は難色を示すのではないでしょうか。そうですよねえ、わかります。どう考えても向こうみずな感じですよね。でも、世の中にはそんな命知らず? な人たちがいないわけではありません。そして気がついたら、海外生活はもうたくさん! と思っていた私自身が、そのジャンルにバッチリ区分けされていたのです。今回は、なぜか気がついたらパリに流れ着いていた経緯をご紹介させて下さい。

ポン・デ・ザール(芸術橋)から見えるセーヌ川の様子。8年住んだ今でも、街を歩くたびに「美しいなあ」と思います。

私は高校と大学院、2度の米国留学経験があるのですが、大学院在学中は不動産屋に騙されたり、隣人に荷物を盗まれたり、でも警察は「それは戻ってこないね〜」とまったく対応してくれなかったり、夏休みの間だけ家を貸したところメチャクチャにされた挙句家賃もほとんど支払わずトンズラされたり、電話会社から法外な請求が届いて毎月怒りの電話をかけて電話会社とやり合ったりとイヤなことだらけで、まだまだピュアでナイーヴだった私はすっかり萎縮し、「海外生活は私に向いてない」と思ったのです。

 

大学院卒業が決まってからは、卒業式も出ずにとっとと帰国。日本に帰ってみると、街中はどこもピカピカでごみ一つ落ちておらず、白いごはん粒は涙が出そうなほど美味しいし、お菓子は脳天に響くほど甘くなく、日本語を話さなくても通じるぐらいに人々は以心伝心であり、誰も私を隙あらば騙そうとはしてこない。憧れの出版社に就職し、ファッション雑誌編集者として仕事を始めたこともあり、「なんて日本って素晴らしいんでしょう! もう海外生活は金輪際ごめんだわ」と思ったのでした。 

そんな日本大好き人間になった私がなぜまた海外、それも英語圏でさえないパリでの生活を始めたのかというと。きっかけは仕事生活から離れ、どこかで休みたい、と思ったことでした。32歳で出版社を退職しフリーランスのライターとして仕事を再スタートしてからは、ほぼ5年間休みなくフルスロットルで働いていたため、充実していたけれど忙しすぎ、常に疲れていました。でもフリーランスなので、依頼が来た仕事は断りにくい。そこで思いついたのが、海外に行ってしまえば休める! ということ。

休みに行くのだから、言葉のわかる英語圏に行こう。しかしアメリカはもういい、オーストラリアは自然すぎる気がする。そんな消去法で、ロンドンに行くことに決めました。もちろん日本に帰ってくる気満々だったので、周囲には「何ヶ月か行ってきます、帰ったらまたよろしくお願いします〜」と伝えていましたし、全く移住のつもりはありませんでした。

ロンドン生活2年目は、大学院準備コースの学生として渡英。20歳近く年下のクラスメイトたちと毎日必死に勉強しました(そして私の年齢はひた隠しにしてました)。

ところがロンドンに着いてみると、もう酸いも甘いも噛み分けた中年になっていたからか、あるいは太々しく成長していたのか、毎日が新しく、楽しいことだらけ! 何これ第二の青春かしら〜、もうちょっと居たい、ヨーロッパ生活を続けたい〜! と気持ちが高まり、半年のつもりの滞在を9ヶ月まで延長。ビザが切れたので一度日本に帰り、改めて1年間の学生ビザを取り直して再渡英。その後も生活を続けたくて、何とか移住できないかと模索しましたが、イギリスはビザの取得がとても難しいのです。学生なら滞在できても、フリーランスで働けるビザの取得はほぼ不可能。

私のヨーロッパ生活もここまでか……とあきらめかけた頃、“フランスはビザ取得が楽らしい”と言う耳寄り? 情報が飛び込んできたのです。同じヨーロッパでイギリスの隣の国だし、なんなら仕事もロンドンよりありそう。「じゃあパリでいいや〜」。そんな、全フランス人からドヤされそうな適当さでパリ移住を決めたのでした。

 
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