立場が逆転した途端、夫の態度が豹変


「その頃は、私の仕事が多忙を極め、慢性的な体調不良に悩んでいた時期でした。一時的な転勤ならば別居を検討したと思うのですが、もしかして彼は定年まで大阪になるかもしれない。その状況で別居するよりも、せっかく夫婦になったのだからこれも運命、とついていくことに決めました。ほんの少し、これで仕事を辞める理由が出来た、とずるいことも考えました」

客観的で正直な香織さんは、取材中、申し訳なさそうにそう言いました。

「でも一番の理由は、私、恋愛っておしゃべりすることだと思っていて。言葉を交わして思いや考えを共有していきたいタイプなんです。難しい話をしたい訳ではなく、時間さえ許せばあれやこれやと話してお互い理解を深めたい。結婚してからは忙しくて、平日はほとんどすれ違い。大阪に言ってパート主婦になれば、彼とコミュニケーションをとる時間が大幅に増えて仲が深まると思っていました」

しかし転居して数カ月後、これが一方的な期待だったことに香織さんは気が付きます。

大阪に行ってからの英明さんは、准教授のポストをかけて出世競争が始まり、研究以外にも仕事上の付き合いが増えていきました。もともと口数が多くありませんでしたが、実験続きで家にいる時間も短くなり、在宅時も論文を書いている時間が増加。

一方、香織さんは仕事がなくなり、新天地で知人もおらず、ポッカリと時間が空いてしまいます。そしていつの間にか、二人の関係性にも影響が出始めました。

「夫は、何者でもなくなった私を、急に下に見るようになったんです。それまで生活費を私が稼いでいたので、遠慮もあったのか、最低限自分のことは自分でしていました。ところが大阪に行ってからは家事を一切しません。

まあそれは100歩譲っていいとして、ことあるごとに『先輩は教授の娘と結婚して羨ましい。せめてお前が国立大学を出ていればなあ。将来、教授夫人が私立文系だと外聞が……』なんて言うんです。こう言ってはなんですが私も新卒からマスコミの荒波に揉まれてきましたから、温室育ちの彼よりも世間を知っているつもりです。そんなのは今時問題にならないと思っていましたし、外聞が悪いというよりも彼が恥ずかしいだけでしょ、って内心では呆れていました」 

 

香織さんと英明さんのように、働き方や社会的役割の変化に伴い、夫婦の関係性が変わることは珍しいことではありません。お互いの立場が良い方向にいく例もあれば、今回のように抑えていた偏見や思い込みが露出してしまうことも。

 

「彼は社会的地位が上がり、お金を稼ぐようになってから明らかに人格が変わりました。いえ、それまでは抑えていたんでしょうね。お義母さんが専業主婦の家庭で育った影響か、女は家を守って夫に仕えるべきだという思いが強いようでした。おまけに1000円のTシャツ1枚買うのも、お前は稼いでいないのに無駄遣いするなと嫌味を言われ……。あなたの奨学金も生活費も、私は黙って出してたんですけど、と言いたかったです。今更ですが、義両親のチャーハンと酢豚の件で感じた違和感が頭をよぎりました(笑)」

取材中、香織さんは当時の状況や心境を包み隠さず話してくれました。でも当時は、誰にも悩みを相談することができなかったと言います。真面目な香織さんは仕事が忙しい英明さんに迷惑をかけてはいけないと思い、ひたすら倹約しながら家事に勤しみました。

しかし、どうにも会話をしないと気分が塞いでしまう香織さん。寂しがりで人懐こい性格のため、1日中閉じこもっているとどんどん深みにはまっていく感覚がありました。頼み込んでパートも始めましたが、元来エネルギッシュでパワーがある彼女には物足りません。数年経った頃には限界を感じ、もう少し濃いコミュニケーションや勉強を求めて近隣の大学の公開講座に通ってみることにしました。

ところが、これがさらなる泥沼へのきっかけとなってしまいます。