愛される人ほど、人を愛している


愛する人が愛されやすいもの。愛されている人ほど、実は人を愛していることは多いのです。
ただし、先ほどの「愛せる人と関わったほうがいい」という話にもつながりますが、いくら相手を愛しても、意中の相手が恋愛において「自分の願望や欲望を追いかけている」うちは、難しいことが多いです。
その場合は、相手にとって好みのタイプにならなければ、パートナーにしてもらいにくいでしょう。

逆に、相手が精神的に成熟していて、“愛の価値”を理解している人であれば、自分が愛を注げば注ぐほど、相手の心が動く可能性は高いです。
もちろん、そのときは自分自身も「本当の愛とは何か」を理解し、本当の愛情を抱けていなければいけません。
というのも、「愛する人が愛される」というと、「“愛されるために”愛そうとする人」が出てくるからです。
その場合は、愛することが「(相手の気を惹く)手段」に過ぎないので、本当の愛とは違うものになっている可能性も高いです。本当の愛は、見返りを求めるものではなく、無償ですしね。

先ほども言いましたが、愛するとは、純粋に「ありのままの相手を受け止め、成長と幸せを願うこと」です。だから、相手がどんなにぶざまな姿になっても、世界中が彼(彼女)の敵になったとしても、それでも自分は愛し抜こうと思える人は、本当の愛を持っています。
ある意味、「愛とは覚悟が必要」なのかもしれません。ただただ“自分が愛せるような素敵な人”を求めているうちは、自分の気持ちが変われば、愛は消えていってしまうもの。そうではなく、ただただ「この人を愛し抜こう」と思う覚悟が必要なところもあるのです。

自分の子供に対して絶対的な愛を持てる親が多いのは、子供が生まれた瞬間に、「この子を守り抜こう」という覚悟を抱くからかもしれません。
そういう人にとっては、子供を愛し続けることに理由はいりません。「そこに愛する存在がいるから愛するのだ」というシンプルな決意があるのです。

 

愛される人は、自分のことを愛している


先ほど、「人を愛せる人は、自分のことも愛せている」と言いましたが、このような仕組みになっています。
「自分を愛せる→人のことも愛せるようになる→結果、人からも愛される」

自分を愛するとは、「ありのままの自分を受け止め、成長と幸せを願うこと」ですが、私たちは気づかないうちに、「ありのままの自分を受け止めていない」ことが多いのです。
なぜなら、「ありのままの自分を受け止める」とは、「自分に嘘をつかないこと(自分の良き理解者になること)」でもあるからです。

私たちはこの世界でうまく生きていくために、時に自分の感情を押し殺し、我慢をすることもあります。自分にすら気持ちを誤魔化してしまうこともあります。
それが積み重なると、感情を抑えることに慣れてしまって、自分の“本当の気持ち”が分からなくなってしまっている人も多くいます。
もちろん感情の赴くままに生きていけばいいわけではないのですが、自分に沸き上がった感情は「なかったこと」にしないで、きちんと受け止めた上で、自分が納得できる行動をすることは大切です。
そのためにも、「自分の外側」ばかりに目を向けるのではなく、日頃から「自分の内側」に意識を向け、自分の心の声を聞くようにしたほうがいいでしょう。

さらに、自分を愛するためにも、自分の中にある劣等感や自己嫌悪などは消化していき、自分自身がもっと「自己の価値」を認めてあげるようになったほうがいい。
「社会的な視点での人の価値」と「本当の意味での人の価値」は違います。単に、社会的地位が高い人、お金をたくさん稼げる人、仕事ができる人が、人として価値があるというわけではありません。そんな表面的なもので人の価値が測れるほど、人間は単純な生き方はしていません。
でも、現代はそんな上っ面の物差ししか持たないまま、「自分の価値は低い」と思い込んでしまっている人があまりにも多いのです。

愛されたい人ほど、人(=自分の外側)からのいい評価や愛を求めがち。そうではなく、まずは自分をきちんと受け止めて愛し、そして、人を愛せるようになりたいものですね。
 

 

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