私心は一切なく、世の中のためだから勝てた


そうなってほしいな、と確信して思えたということですか。

栗山:こうなってほしい、と普通思いますよね。でも、絵を自分の中で浮かべるというより、勝手に絵のほうから浮かんでくるという感じでした。最後こうなるのか、ならばその方向に行かなきゃいけないんだな、と。

稲盛さんが生きておられたら、「お前、まだ足りんのや、それでは」と言われるかもしれませんが、僕の中では稲盛さんが言われていたカラー映像に初めてちょっとだけ触れられた気がするんです。

書籍『熱くなれ』にも出てくる稲盛さんの言葉「強烈な願望」は、それが叶えば多くの人のためになる、という思いも大きかったのではないかと思います。栗山さんにも侍ジャパンでは、監督としてそのお気持ちがあったのではないでしょうか。日本が勝てば、日本は元気になれる、と。

『熱くなれ 稲盛和夫 魂の瞬間』
編著:稲盛ライブラリー+講談社「稲盛和夫プロジェクト」共同チーム(講談社)

栗山:そうなのかもしれないです。僕は最初から、WBCに日本全体を巻き込みたいと思っていました。自分のために監督をやっている気持ちは一切ありませんでしたね。それこそ稲盛さんの言われる「私心なかりしか」です。

ただ、やっぱりはっきりと思い込み、信じ切らないと何も答えは出てこないんだ、とも思いました。最後の翔平のガッツポーズでしか勝つ形はない、というのもそうです。だから、翔平には出てもらわないといけなかったし、最後のシーンはあれしかなかった。

よく聞かれるんですけど、勝ち切った理由って自分でもよくわからなくて。負けてもおかしくない場面は、たくさんあった。でも、今回は世の中のためになるから勝たせてもらえたのかな、という感覚があります。

 

決勝戦の最後のダルビッシュ有選手、大谷翔平選手の継投には日本中がしびれたわけですが、あれは早い段階で決めていたんですね。

栗山:準々決勝で翔平が投げて、朗希(佐々木朗希選手)と由伸(山本由伸選手)を準決勝に使うわけですから、決勝はもう誰も当てはめられないんですよ。

実際にはコーチ陣とも議論になったんです。決勝まで誰か置いておかなくていいのか、と。でも、決勝まで行ったらなんとでもなると思っていました。あのスケジュールだと、最後に長く投げられるピッチャーがいるとは思えなかった。

疲れ切っているので、継投しかない。短く繋いで最後は誰か、プレッシャーに勝てる人たちが最後に投げる。それしか勝つイメージはなかった。だから、それはもう最初からイメージがありましたね。

 


会えなかった稲盛さんに叱られたような気持ち


稲盛さんを慕っておられた栗山さんですが、2019年1月29日に初めてお会いになる予定だったとお聞きしています。ところが稲盛さんが体調を崩されてしまった。

栗山:はい、この日は忘れてはいけない日だと思っています。僕は動き出すのが、遅いところがあるんです。会わなければいけない人には、ちゃんと会わなければいけなかった。命かけてやらなきゃいけないことができていなかった。その意味では、稲盛さんに最後にしっかり叱られたと思っています。

だからWBCの監督を引き受けてからは、会わないといけない人にはとにかく会いました。日本代表監督を務めたことのある長嶋(長嶋茂雄監督)さん、王(王貞治監督)さんにももちろん会いに行きましたし、高校野球でもPL学園の中村順司元監督、横浜高校の小倉清一郎元部長。都市対抗野球の東京ガス、山口太輔前監督、ラグビーの帝京、岩出雅之前監督にも会いに行きました。

短期決戦のトーナメントは、やっぱり野球のペナントレースや日本シリーズとはまったく違いますから、お話を聞いてみたかった。