本来の使い方として正しいのは、「買ってやりたい」

 
 

では、正しい使い方はどちらなのでしょうか?

本来の使い方として正しいのは「買ってやりたい」。
なぜなら、「あげる」は「やる」の謙譲語だからです。

辞書を引いてみると
【あげる】
「与える・やる・送る・とどける」などの丁寧語。
相手への動作をへりくだって言うのに用いる語。
「やる」の謙譲(丁寧)語。例:「教えてあげる・持ってあげる・探してあげる」

(新明解国語辞典 第八版/三省堂 より引用)
とあります。

この例文の場合、おもちゃを買うのは、自分の子に対して。自分の子に対して、「あげる」という謙譲語を使うのが適切ではないというのが理由です。

 

今では「買ってあげたい」と言っても不適切ではない

 
 

ですが、辞書には同時にこのような記載もあります。

本来謙譲語であったが、現在では下の立場の者や動物にも「やる」の意で用いられる。
例、「子供におこづかいをあげる/犬にえさをあげる」。上位の人に対しては一般に「差し上げる」を用いる。例、「贈り物を差し上げる/かばんを持って差し上げる」。

(新明解国語辞典 第八版/三省堂 より引用)

また、平成19年に 文化審議会が作成した「敬語の指針」には以下のようにも記載があります。

この場合は、「植木に水をやる」「植木に水をあげる」のどちらが適切かというお題に対して、以下のように解説されています。

敬語の使い方の違いには、その敬語についての理解や認識の違いが反映していることを考慮すべきだということである。例えば「植木に水をやる」を適切な言葉として選ぶ人は、「あげる」に謙譲語的な旧来の意味を認め、「植木」はその種の言葉を用いるべき対象物ではないと考えている可能性がある。

一方 「あげる」を使うと答える人は、この語の謙譲語的な意味が既に薄れていると考え、同時に「やる」という語に卑俗さ・ぞんざいさを感じてこれを避けている可能性がある。
現代は、この二つの考え方が言わば拮抗(きっこう)している時代であろう。「植木に水をあげる」という場合の「あげる」は、旧来の規範からすれば誤用とされるものであるが、この語の謙譲語から美化語に向かう意味的な変化は既に進行し、定着しつつあると言ってよい。

 

つまり、今では「買ってあげたい」は目上の人に対しての謙譲語ではなく、「買ってやりたい」の美化語として定着してきているから。

ちなみに「美化語」とは、言葉自体を丁寧に言いたいときに使う用法のこと。主には言葉の前に「お」や「ご」をつけた用語のことで、たとえば「お薬」「ご飯」などに当たります。この場合、「薬」や「飯」を丁寧に言いたいために使っており、目上の人や物に対して敬意を表しているわけではありませんよね。

それと同じて、「買ってやりたい」を丁寧に言っているのが「買ってあげたい」という表現だという訳です。

変わりゆく日本語、奥が深いですね。

構成・文/高橋香奈子

 

 

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