暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』、『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社)シリーズを、創刊からずっと手がけてきた一田憲子さん。この3月に著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。時間をかけずに日々を豊かに楽しむ知恵』(SBクリエイティブ)が発売されると、多くの忙しい女性たちが「実は私も!」と共感。前編では、その「丁寧に暮らせない自分」を受け入れるまでの葛藤を伺ったが、後編では、頑張らずに豊かに暮らすコツを詳しく教えてもらうことに。すぐに真似できそうな話ばかりなので、ぜひご一読ください!
一田憲子 1964年生まれ。京都府生まれ、兵庫県県育ち。編集者・ライターとして活躍中。『暮らしのおへそ』、『大人になったら、着たい服』(主婦と生活社)シリーズでは、企画から編集まで手がけている。また、日々の気づきからビジネスピープルのインタビューまで、様々な生きるヒントを届ける自身のサイト『外の音、内の香』も好評を博している。最新著書は『丁寧に暮らしている暇はないけれど。 時間をかけずに日々を豊かに楽しむ知恵』(SBクリエイティブ)がある。
『暮らしのおへそ』が誕生した理由
“丁寧な暮らし”といえば、イメージするのは朝型生活。朝は早く起きて軽くウォーキングをし、ゆっくりと朝食をとる。そして体も脳も元気な午前中のうちに掃除も一仕事も済ませてしまう、これが理想なのではないだろうか。一田さんもそんな朝型生活に憧れてはみたものの、挑戦しては挫ける、ということを何度も繰り返してきた一人だ。
「今の東京郊外の一軒家に引っ越した頃、張り切って朝型生活に変えようとしたんです。だけど私は恐ろしく朝が弱くて、何度も目覚ましのスヌーズボタンを押してしまって起きれない。そのとき感じたのは、習慣は積み重ねられてきたものだから変えるのは本当に難しいな、ということ。まさに私たちの日常のド真ん中にあって、体における“おへそ”みたい。そう思って、『暮らしのおへそ』というタイトルで、習慣を切り口にした本を刊行したんです。当初会社からは『何だそのタイトルは!?』と猛反対されましたけど、押し切った(笑)。幸いこれがヒットして、その後シリーズ化することができたんです」
習慣が一つ変われば暮らしが変わる
2006年に第一号が発売された『暮らしのおへそ』は、何と今年、25号目が発売。12年に渡るロングヒット本となっている。
「様々な習慣を取材していくうちに、習慣が一つ変われば暮らしが変わるんだ、と気づいていきました。私は朝方生活にしようと思ったとき、ウォーキングも朝食もと一度に全部変えようとしていたんですね。だからすぐ挫けてしまっていた。そこで何はともあれ、まずは起きることだけに徹しようと思ったんです。目覚ましが鳴ったら這ってでも起き出して、目を覚ますためにすぐお風呂に入る。これだけを目標にしたら、自然と朝の過ごし方も変わっていったんです」
今は毎朝5時半に起きて、20分の半身浴をする。その後30分ほどウォーキングをして、戻ってきたら“何ちゃってヨガ”をしてから原稿を書く、というパターンが基本だという。
「朝に原稿を書くと、夜の何倍もはかどるんですよ。時には前の晩に何時間もかけて書いた原稿を、ものの30分で1から書き直してしまうことも。本当はヨガの後に掃除も済ませておきたいんですけど、この黄金の時間帯はやはり仕事にあてたいな、と。そのあたりはまだ試行錯誤中ですが、あまりきっちり組もうとせず、自分が心地いいと感じるペースでやっていけば、自然とベストなところに組み込まれていくんじゃないかと思っています」
40代になって生じたオシャレの悩み
『暮らしのおへそ』で取材してきたのは、すべて自分が知りたいことだったという。そうして暮らしの知識はどんどん増えてき、習慣としても着実に身についていった。ところが一田さんはmi-mollet世代に入ったとき、習慣とはまた違う、ある悩みにぶつかった……。
「40代に入った頃から、それまで着ていた服がまったく似合わなくなったんです。このままオシャレも楽しめない下り坂の人生を歩くしかないんだろうか、と悲しくなって。『四十にして惑わず』なんてことわざがありますけど、むしろ四十にしてめちゃくちゃ惑い始めたんです。そこへちょうど出版社の人が『何か新しい企画はないですか?』と聞いてくれて。『40歳以上のオシャレをやりたい!』と即答えていました。そこから素敵な年上の方々に取材を重ねて刊行したのが、『大人になったら、着たい服』(主婦と生活社)。またもや私の趣味と実益を兼ねた本だったんですけど、同じように40代からのファッションに悩んでいた人は多くいたようで、こちらも好評をいただいたんです。おかげ様で『暮らしのおへそ』に次いでシリーズ化され、今年8年目に突入することができました」
年齢を重ねて知った“頼る力”の大切さ
これだけ長く第一線で活躍し続けている一田さん。その秘訣は、“暮らし”においてだけでなく、仕事においても“できない自分”を受け入れたことが大きかったという。
「若い頃は、全部自分一人でやらないと気が済まなかったんです。でも10年くらい前に著書『一田食堂』を出版したとき、初めてトークイベントというものを開催したんですね。しかも東京から離れた、兵庫県の芦屋市で。遠いし初めてだし緊張でガチガチになっていたら、仲が良かった編集さんやカメラマンさんが突然手伝いにきてくれたんです。とくに頼んだわけではなかったのに。さらに芦屋にいる友達も駆けつけてくれて、重機を借りてイベント会場の設置をやってくれた。それがめちゃくちゃ心地よくて(笑)。みんなが自分のために動いてくれるってこんなに嬉しいもんなんだ、と知ったんですよ」
もちろんそこからすぐに、人に頼れる性格に切り替わったわけではない。第二のきっかけは、『暮らしのおへそ』を刊行して10年ほどたった頃に訪れた。
「同じ人間が作り続けていますから、10年もたつと内容が少しマンネリ化してくるんですよね。ちょうどその頃、一緒に企画を立ち上げた編集さんが辞めて、新しい編集さんが入ってきたんです。すると新たな視点が生まれて、新たな人脈も生まれて、良いプチリニューアルになった。mi-molletの大草直子さんに初登場いただいたのも、この頃でした。それまでは『暮らしのおへそ』は私のもの、誰にも渡したくない! と思っていたんですけど、人の力を借りることでより良いものを作っていけるんだ、と学んだんですよね。このあいだも物理学者の佐治晴男さんにご登場いただいて、『物理学から見た幸せ』というお話を伺ったんですよ。この人選は、私では絶対にできなかったもの。今は、物理だろうがビジネスだろうが、どんな分野にも必ず普遍的な人間の営みのようなものがある、ということを強く感じるようになって。それを日常に生かせるよう伝えるのが、今私たちが力を入れてやっていることなんです」
一田さんは、仕事も暮らしも“できないこと”を潔く手放したことで、かえって人生の幅が広がった。結果、変わらず忙しい日々が続き、「やはりなかなか丁寧には暮らせないけれど……」と苦笑している。
「でもあんまりゆっくりしすぎるのも苦手なので、今のペースでちょうどいいかな。適度に刺激がないと、不安になってしまうし、堕落してしまうし。とはいえ、最低限夜は家に帰ってご飯を作る、ということはしたいですね」
- 1
- 2
Comment