私は高校1年生の時に家を出ました。

家から高校までは電車で約1時間。しかも、単線で1時間に1本ペース。入部したバスケットボール部が朝練もあり、元旦しか休みがなかったような厳しい部活だったため、通いきるのは困難と判断し、自転車で通える親戚の家に下宿をすることにしました。

同窓会の案内。幹事を努める友達2名だけ辛うじて思い出せました。それを電話で母に伝えたら「あなたは本当にしようがないわね」と言われました(苦笑)。


小学生の時は酪農を営む友達の家で絞り立ての牛乳を飲むのが好きでした(だから背が伸びたのか!?)。祖父とは近くの原っぱで、よく蓬や芹、蕨を摘んでは、草餅やお浸しにして食べていました。川をはさんだ隣の小学校とのソフトボールの試合で、定員人数を超えて乗船した渡し船(ちなみに舟は人力のもので、地元のおじさんがボランティアで舟を渡してくれていました)が、こちら岸に着く直前(つまり目の前で)転覆し、隣の小学校の対戦チーム全員(監督さん含む)が川に落とされ、結果的に試合ができなくなったこともあります。結局、焚き火をしましたっけ。

何が言いたかったというと、私の地元は結構な田舎であったということです。

今、友達の家は酪農を止めました。野草を摘んでいた原っぱは整地されてしまいました。渡し船の乗船所あたりには大きな橋がかかりました(これは町民の悲願でした)。少子化が進み、小学校は隣の大きな小学校に吸収され、今は公民館として利用されています。自分の生まれ育った場所が記憶とどんどん乖離していく(思い出は美化されやすいからでしょうが)寂しさを感じています。我ながら自分勝手な言い分です。

前置きが長くなりました。

窮屈さしか感じることができず、幼きときから町から飛び出ることしか考えていませんでした。それが許された瞬間に飛び出したまま30年が経ちました。そして、同窓会の案内が私の元へ。もう、誰の顔を思い出せる自信も、思い出してもらえる自信もありませんけれど(苦笑)、「出てみようかな」と本当に急に思い立ちました。

実父は他界したので、実家には母がひとりで住んでいます。お盆とお正月(と友達の結婚式)。下手をしたら、お正月だけ。特に東京に出てきてからは、そんなペースでしか実家に帰っていない不届き者です(変わりに母が時々東京に遊びにきます)。中学時代の友達で今まできちんと交流していた友達は誰ひとりいません。女性誌では「同窓会に何着てく?」とか「どんなメイクで行く?」という特集がよく組まれておりますが、そのようなテンションとはまったく違っていてすいません(苦笑)。地元と私をつなぐ接点が「母がいる」というひとつの点でしかない儚さに、突如ハッとしてしまった。それが、出席の理由にいちばん近い気がします。

ちなみに、「大勢での飲み会で居場所を見つけるのがまったく得意でない」ため、同窓会というものに過去一度も参加したことがありません。一般的にはマウンティング合戦がツライというような論調(例えば、「同窓会という人生自慢大会を乗り切る方法」文春オンラインより)がありますが、そういう気持ちもどこかにあったのかもしれません。

さて、どうなることやら!?

今日のお品書き
どの作品を見てもいるだけで作品が締まる、大好きな女優・木野花さんのインタビュー。「どうしても理解しあえない相手(時に母娘関係も含む)と、どうにか付き合って行く方法」、私の心のメモ帳に深く刻みました。