人生、本当に何が起こるかわかりませんね。

約9年前、新聞記者3年目のとき。当時付き合い始めたばかりの今の夫が「海外転勤になったら、ついてきてほしいって言おうと思ってた」とつぶやいたことがありました。結局そのとき海外転勤はなかったものの、私の内心は、「はぁ?」。「ついてきて」って何。私の始まったばかりの記者としてのキャリアはどうなるの。…と思いました。

ところが、その私が今、これを夫の海外転勤先であるシンガポールの高層マンションの一部屋で書いています。結婚して1年で第一子を妊娠し、出産後の女性のキャリア継続の難しさに憤って『「育休世代」のジレンマ』という本にまとめました。その後、新聞社は結局退社し、自分でものを書くようになり、第二子が生まれます。そこに夫の海外転勤。今回は「ついてきて」と言われるまでもなく、自分にとっても子どもたちにとっても世界が広がるチャンス、と一緒に行くことに決めました。そこから想定外の苦戦もあったのですが「私のキャリアはどうなるの」の“キャリア”観もだいぶ変わったように思います。

シンガポールよりはじめまして。_img0
 

ずいぶん昔に、あるジャーナリストの方が女優である娘さんと一緒に新聞紙面にでていらっしゃって、「人生のどんな出来事も、糧にできる職業がある。ジャーナリストと、役者だ」という趣旨のことを言っていました。私もそうだなと思っていて、憤っても苦戦しても、結局それで転んでもただじゃ起きぬで、もの書きとしてはよいテーマが増えればいいと思っています。

大学生のとき政治経済のゼミに入っていて、毎年夏合宿で将来計画を発表することになっていました。大学1年で、周りが国連職員とか外交官とか言っているときに、私は「エッセーとかを書く、もの書きになりたい」と発表。同級生に「キミね。何かを達成した人のエッセーだから読んで面白いんだよ。無名のキミのエッセーを誰が読みたいの」と笑われました。

いや、もうちょっと愛のある言い方だったかもしれないですし「外交官になることが目標なんですか、外交官になって何がしたいのか分からない」みたいなツッコミを私も含めてしていて、お互いボコボコにすることが目的みたいな場だったので別に全然根に持っているわけではありません。でも、Mくん、どうやら私はいつのまにか、「エッセーとかを書く、もの書き」になれた気もするよ。

ということで、このサイトでコーナーを持たせてもらうことになりました。シンガポールで2児の子育てをしながら、社会問題や子育て、ジェンダーについてのものを書いています。連載のタイトルは「らしさ」からの脱却となっています。私自身、「女らしさ」「母らしさ」というものに、時に反発したり、時にがんじがらめになったりしてきました。 日本を離れて、少しずつその「らしさ」から抜け出そうとする試行錯誤を、ありのままに出していけたらと思っています。「誰が読みたいの」と言われないよう、がんばります。

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