結婚・妊娠をして初めて自分が女性であることを意識せざるをえないほどの壁にぶつかりました。それまでは、女の子だからと損をしたことはない―。そう思っていました。娘にも息子にも着たければ着てもいいと言えるようになってきたし私だって着たければ着たっていいと思えるようになってきました。

こうした「名誉男性化」については『「育休世代」のジレンマ』という本に詳しく書きましたのでご興味があればご覧いただきたいのですが、今日はそんな風にジェンダーにセンシティブだった私がどんな子育てをしているかについて書いてみたいと思います。

我が家には6歳息子と2歳娘がいるのですが、あえてピンクのものを買い与えることは一度もしなかったが遠ざけることもしなかった結果、娘は時に足の先から頭の上までピンクで揃えるピンク星人になりました。とほほ。ブルーや黄色も好きでピンクだけということもないのですが、プリンセスカラーのピンクや紫はやっぱり好きだし、お姫様ものにも引かれていく彼女。

カメラを向けると変顔したり目隠ししたりする「ピンク星人」の娘

私自身について言えば、大学生くらいの頃、私はピンクとかヒラヒラキラキラしたものは着てはいけないような気がしていました。ピンクそのものを、何か男性への媚びを売る象徴のように忌み嫌っていたような気がします。

同じ大学の男友達がファッション誌に出ている女子大生を馬鹿にしているのを見て、その男子学生だって私だってそういった読者モデルに興味津々なくせに、その領域に近づけないゆえに何か上から目線ぽく笑うことによって、近づこうとしない理由を正当化していたように思います。

「自分が化粧をしたり、スカートをはいたら、何が起こったの!!?と笑われるにきまってる。ましてや、ピンクなんて絶対に手を出せない」。そういう色の世界に過剰なまでに距離を取っていた私は、どこかで無理をしていたのでしょう。

一度だけ、社会人になってから、自分でも恥ずかしくなるくらい潜在願望がだらだら漏れ出している夢を見たことがあります。15年くらい会っていなかった小学校時代の親友が久しぶりに夢の中に出てきて、披露宴で使うような色とりどりのドレスが並んでいる場所に私を“無理やり”連れて行くのです。

「いや、私はいいよ…」と躊躇う私を、「絶対似合うって、いいからいいから」と引っ張るように試着室に連れて行き、ドレスを着せる。その色が何色だったかは忘れましたが、自分では絶対に試着できないようなドレスを身にまとい、親友が満面の笑みで「ほら、すっごく似合うよ」と言ってくれる―――。

どんだけお姫様願望あったんだと、書いていて本当に恥ずかしい!“無理やり”というところが非常に大事で、あくまでも私の意志ではないぞと言いつつ、本当は着てみたいし、似合うと言ってほしかったみたいです。

さて、我が家のプリンセスはどうか。お姫様といえば、古典的には家事労働に従事している美しい娘が王子様に見初められて結婚してゴールというのが分かりやすい白雪姫やシンデレラの図式。ピンクやフリフリのドレスに罪はないがそのライフコースと絡められてしまうところに私のアレルギーも疑問もあったわけですが、最近はそういったことを指摘する書籍も日米で散見されます。

白雪姫もシンデレラも異なる女性像で実写版映画がつくられたり、『アナ雪』のように王子様がほぼ不在のプリンセスものも出てきています。我が家は今シンガポールで暮らしているのですが、子どもたちはケーブルテレビで『アバローのプリンセス エレナ』や『小さなプリンセス ソフィア』を見ています。

 

ある日、息子いわく「princessはドレスきてて、みんなfightingするよ。エレナとか、(アナ雪の)エルサとか」。うーんでもソフィアはそこまで戦ってないかも、と言うと「ソフィアはadventure princessだよ。 エレーナもadventureするよ。princessはみんなadventureするんだよ。magicもするprincessもいるよ」と言われました。

プリンセスの定義で何が必要十分条件なのはともかく、ほう、現代の子供はそういうprincess観なのかと思って、目が覚める思いがしました。そうそう、ドレスが着たくたって、全身ピンクだって、闘ってもいいし、冒険してもいい。でも、娘にも息子にも着たければ着てもいいと言えるようになってきたし、私だって着たければ着たっていいと思えるようになってきました。

ただし、ある時プロのスタイリストさんに「全身から青が似合うオーラが出てますね」「ヒラヒラよりまっすぐ系がいいですね」と“診断”されたことがあり、私は一巡回って結局ピンクにもヒラヒラにもあまり手を出してはいないのですが。でも家にピンク星人がいることについては、気にしないことにしました。