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ベルギーのレストラン遊学時代のこと。レストランオーナーのマダムは百合が大好きで、レストラン中に、大きなガラスの花瓶に活けた百合の花束をいくつも飾っていた。マダムの毎朝の日課は、掃除係のカリンが来る前に、開いた花の雄しべを丁寧に取り除き、百合を水切りし、全ての花瓶の水を入れ替えることだった。
 

しかしある日、マダムは階段から落ちて、脚を負傷し、しばらく入院を余儀なくされた。その日から、百合のケアをする人がいなくなり、私はその役をかってでることにした。マダムの代わりになろう!とはりきって、毎朝早く、レストランへ行き、百合のお世話をした。一方、カリンは、そんな私の姿を見て、呆れたような顔をするのだった。私はその意味がさっぱりわからなかった。

そうして数日が経ち、いつものように百合の世話をして、充実感に満ちてレストランホールを立ち去ろうとしたとき、カリンが、大理石のカウンターに付いた、ゆりの花粉を一生懸命に落としていることに気がついた。

そう、マダムは、掃除をするカリンのことも考え、百合の花粉が落ちないように、花瓶を動かす前に雄しべを取り除いていた。一方私は、そんなことも考えず、自分本位な百合のお世話をすることで、彼女の仕事を増やしていたのだった。

マダムは以前、こんな話をしていた。夫が突然脱サラをして、「自宅のリビングで、レストランを始める!」と言い出したとき、レストラン経営の"け"の字も知らないマダムは困ったのだが、彼女なりにレストランの理想像はあって、その一つが、レストラン中に生花を飾ることだったという。最初は、色々な花が混ざった花束を活けていたのだが、花によって持ちが違うし、ケアがとても大変だったそう。そこで、あるときから、「飾るのは百合だけ!」と決めて、決まって火曜日の市場で沢山の百合を仕入れて、毎朝きちんとお世話をすると、夏場以外は、だいたい1週間保つのである。「ケアもずいぶんと楽になったし、経済的だわ!」

「絢爛豪華なのはお客様を疲れさせるし、だからと言って、貧乏くさいのもお客様に失礼。流行りものを追えばいつかは時代遅れになる。お金の計算も大事。どこにお金をかけて、どこを節約できるか見極めることはとっても大切よ。あとは、同じスタッフに長く働いてもらうことかしら。レストラン経営はど素人だったけれど、私達なりに工夫をして、決して有り余るほどの儲けがあるわけではないけれど、十分豊かに生活できていて、何十年もいいお客様が付いていることは、レストラン経営としては成功じゃないかしら」と。
 

マダムが入院をして、みるみる、レストランの雰囲気がどこか不協和音になっていたのは、マダムの存在あってこそのレストランだからなのだ、と理解した。 

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義理の母は、時々、突然に、沢山の百合の花束を送ってくる。ベルギーのマダムの影響を受けて、すっかり百合好きになった私は、決まって、大きなガラスの瓶にいける。1~2日すると花弁はどんどん開き、花粉のたっぷりついた雄しべが露わになる。その雄しべを慎重に取り除きながら、もう10年も前のことなのに、"マダムの代わりに!"なんてはりきっていた自分を、今でも苦々しく思い出すのである。

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○今日の花束・・・義理の母から送られた百合の花と、おせんべい屋さんの瓶。

写真:白石和弘