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GWの最後の日、我が家にお客様があった。小さいお子様も含めた、昼下がりの賑やかな会だった。

皆さんがお帰りになられてから、汚れものがいつまでも残っていることが嫌な性分の私は、パタパタと洗い物を始めてしまう。

「まあまあ、ちょっとひと休みしたら?」と夫は、冷蔵庫からお疲れビールを1本取り出し、渦巻きのお香に火を焚いた。

私は渋々、洗い物の手を止めて、お茶を一杯持って、ソファに座り、立ち昇る香りの渦をぼーと眺めながら、このお香が燃え尽きるまで、宴の後の余韻を静かに味わってみよう、と決めた。

人と会うのは楽しいけれど、
会った後、
少なからず、
気分が上下してしまう。

「今日の会はどうだったのかしら?」
「へんなことを言ってしまって、あの方、傷ついていないかしら?」
「あの方のような生き方ができたらいいのにな…」
などなど、思いは尽きない。

そういえば、ベルギーのレストランに遊学中、パーティーが催されたことがあった。

宴の終盤、もうお料理も出し尽くし、そろそろお客様がお帰りになる頃、ムッシューはおもむろに、なにやら紙をちぎって、蛇腹状に折りたたみ、火をつけてアッシュトレーに投げ入れた。つーっと煙が立ち上がり、複雑な香りが漂った。

いつものムッシューのきまぐれと思っていたけれど、そういえば「これは"papier d'arménie"(パピエダルメニ)というものだ!」と言っていた。会の最後に焚いて、料理や葉巻の残り香を消す、という。

渦巻きのお香は、意外にも持ちが良く、香りの余韻がなくなるまで、おそらく20分ほど。

洗い物が気になって、何度かお尻が浮きそうになるのを堪えながら、その思いは、段々と、まとめに入る。

「皆さん、いい笑顔で帰られたから、きっと良かったのよ」
「案外、自分が気にするほど、人は気にしていないものよ」
「あの方の生き方も素敵だけれど、そんな素敵な方をお招きできて、私も充分豊かな思いをしているわ」
ここまできたら、もう大丈夫。

今日の会に、自分の中で落とし前をつけて、消化することができた。

ムッシューが言っていた"papier d'arménie"は、料理や葉巻の残り香で澱んだ空気ばかりでなく、人と接することで生じる気持ちの澱みも消してくれるのかもしれない、と解った。

そうして、汚れたお皿よりも、まずは、澱んだ気持ちの浄化の方がよっぽど大切だ、ということも解った。

 

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○今日のお香
*ムッシューおすすめの、フランス製の紙香"papier d'arménie”。
*「サンタ・マリア・ノッヴェラ」のイタリア製の紙香。
*日本にも、いいお香がある。私のお気に入りは、京都「尾張屋」のもの。小さい渦巻き状の線香のようなもの。