思い出の詰まったスーツケース。_img0
 

2月にベルギーへ旅行した際、帰路の飛行機で、スーツケースのハンドルが壊れてしまった。

そのスーツケースは、私がアントワープのレストランと運命の出会いをするきっかけとなった旅から使い始めたもので、その後のベルギーと日本の往復や、他の国への旅行にも、その後の多くの思い出を共有する良き相棒となった。

もともと旅好きで、思い立ったら、独りでも行ってしまう。
物好きな私は、旅先で、もれなく色々買ってしまうわけだが、やたらと大きなスーツケースを使っていた頃は、際限なく買いあさり、スーツケースに詰めるだけ詰め込んで、帰りの道中で、いろんな人の手を借りないと扱えない重さになっていた。

だからと言って、バックパック方式がいいかというと、旅先で1日くらいはいいところでごはんをしたいわ、と思うと、さらりと着られるワンピースがシワにならないようにいれておきたい。

そうやって旅を繰り返していく内に、どんな状況でも独りで扱える大きさや重さのスーツケースにしよう!と決めた。暑い国へも寒い国へも、短い旅行も長い旅行も、このスーツケース一つに収まるように工夫するようになり、過不足ない最小限の荷物の作り方が解って、なかなかの旅上手と自負している。

ハンドルが取れ、今や実用性がなくなってしまったスーツケースだが、「買い換える」という選択肢が選べないほど、私にとって、あまりにも多くの思い出が詰まり過ぎていた。なんとか治せないものかと、保険会社が斡旋する修理業者に送ってみたが「破損がひどく修理不能」とあっけなく返されてしまった。

どうしても諦めきれず、手立てを考えていると、このスーツケースは、とある兵庫県の会社が製造していたものだった、と判明した。とっくのとうに製造終了していたが、ダメ元で連絡をしてみると「ハンドルの破損だけですと通常5000円程度の修理代になると思いますが、破損の状況をみたいので、とりあえず送ってみてください」と快くご返答いただいた。「10年以上、旅を共にしてきた大切なスーツケースです。いくらかかっても良いので治していただきたい」と伝え、最後の望みを託した。

それから1カ月近く経って、「修理が出来上がりましたので」とご連絡をいただいた。「ハンドルの破損箇所を治すにあたり、内側全体にアルミ板を張りましたので、少し重くなっているかもしれません。また、キャスターやキャリーハンドル、鍵など、だいぶ使い込んでありましたので、取り替えさせていただきました。底足もいくつか取れていましたので、つけさせていただきました。内側の布地の張り替えとバンドも付け替えさせていただきました」と、ずいぶん丁寧に直していただいたようだ。さて、そうすると修理代がぐんと上がるのでは?と覚悟すると、「修理代は、当初お約束させていただいた¥5000+送料でお願いいたします」と。驚きのあまり、返答に詰まると、「これからも長く使っていただきたいので…」と付け加えられた。

翌日、届けられたスーツケースは、使い込まれた風合いは全くそのままに、細かいパーツを全て取り替えていただいたようで、その心意気に、思わず涙が溢れた。

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40歳になって、急に、物を持ち過ぎることに煩わしさを感じるようになった。
「仕事柄・・・」と託けて、物を買うこと、持つことへの免罪符にしてきたが、そろそろ減らしていくことを考えている。しかし、物の中には、その実用性と共に、”思い出”という厄介なものがつきまとう。それが”断捨離”をする私たちを悩ませる大きな要因なわけだが、それを完全に無視することは、やはり無理。

物の”いる”or”いらない”を決めるとき、まずは、思い出の深さで考えてみる。このスーツケースには、自分の人生を豊かにしてくれた多くの思い出と共に、作った職人さんの心意気までも詰まっている。

だから、治しても使いたい、一生”いる”ものになる。

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◯今日の”思い出”・・・先週の、鹿児島1泊弾丸旅行にも、もちろん”相棒”を連れて行った。
用事の合間で行った曽木発電所遺構は、その役目を終えてダム底に沈んだ建築。水位が下がるこの時期だけ幻想的な姿がお目見えする。
いつもは物でぎゅうぎゅうになるスーツケースだが、今回は、新しい経験と出会いで十分に満たすことができた。

撮影/白石和弘