稀代のインフルエンサーである初代編集長・現大草直子コンセプトディレクター(以下、大草さん)の後を継ぐという事実。大袈裟ではなく、そのプレッシャーからか、夜中に突然目が覚めたり、時に目眩をもよおすこともあった。それもそのはず、なぜか自分が大草さんのようなインフルエンサーにならなくてはならないような錯覚に陥ってしまっていたのだ。今思い返せば笑い話なのだが、「ただの会社員で、何者でもない自分が何かを偉そうに発信するなんて、まったくもってクールじゃない」と、当時の私の中にあった美意識(いや、自意識か)のようなものと闘っていたように思う。

先代の存在が大きければ大きいほど、2代目の苦悩は大きくなる。よく聞いていた話だが、いざ自分にふりかかってくると、この計り知れない重圧はなかなかのものだった。

大草さん退任のXデーを二人で話し合った時から、毎日、本当にかなり頭を抱えていた。

写真:Shutterstock

創業者はその情熱で事業を興す。2代目はそれを永続的に続かせるための体系を考える。いかにミモレをサステナブルなブランドにするか。会社からはいろいろと指令がおりてはきたけれど、それが2代目としての自分の使命だと考え、そのことばかりを考えていた。

誰が出ていても、誰が運営していても、ブレないミモレブランドを確立するために。大草さんカラーに染まっていたサイトをどうやって多色使いのサイトにもっていくか。そのバランスを安定させるか。

それを実現するために、とにかく大草さんがやっていないこと、大草さん時代にやってこなかったことは何だったかを問い続けた。今思えば、逆に意識しすぎたことを反省している。逃げようとすればするほど思考がフリーズするような感覚に陥ってしまうのだ。

考えれば考えるほど、どうしても自分の編集長像が見えてこず、とても苦しい日々だった。

 
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