2015年1月。サイトオープン当初、ミモレは今では信じられないくらいの本当に少ない人数で運営していた。大きなグループの端っこを間借りしているような状態でのスタートだった。
これまで何回か雑誌の創刊を体験してきたが(創刊パーティに、ナオミ・キャンベルがいた時もあったし、三井俱楽部を借り切ったこともあった)、それとはまるで違うオープン初日。作業中の手を止め、持ち寄ったおつまみとともにビールで乾杯した。本当に慎ましやかな船出だったと思う。
何日か徹夜しながらサイトオープンを迎え(そのオープン直前に書いた編集部ブログを改めて読んでみた。私はつくづく歌謡曲が好きなんだな笑)、やっとのことで一息つけるのかと思いきや、そこからが本当のスタートだったと気づいて愕然とした。
まったく息がつけない!
立ち上げるまで、まるで予想をしていなかった。その時、私は別の雑誌編集部でのデスク業務との兼務だったので、たとえるなら「右手で□をゆっくり描きながら、左手で△を高速で同時に描かなくていけない」という状態に、頭から湯気がでそうだった。どちらの部署にいても、どちらかのことが気になり、そしてそれを言い訳にもし、結果的にとてつもなくパフォーマンスが悪かった自覚がある。反省しかない。
そして、今思い返してみても、当初は予算が本当に少なくて、(初代編集長)大草さんはじめ、関わるすべてのスタッフに「ごめんなさい」という気持ちになったことも数えきれなかった。
目先のことより、もっと先を、もっと上を。
なんとかくじけずにやっていられたのは、「大森ちゃん、とにかく前へ! 前へ!」と、先をいく大草さんの背中にずっと鼓舞されていたからだと思う。
それから半年を過ぎ、私はミモレ専任となった。それから半年後に咲子とバタやんが加入。そして、紙からデジタルへと出版業界を取り巻く環境に吹く風向きが変わった時期でもあった。ミモレに追い風が吹いているのを感じた。まさにミモレの青春期。葛藤は多かったけれど、何をやっても前進しているような感覚は何よりモチベーションとなった。
毎日のコンテンツを考え、その記事を作りながら、全国の読者の皆様に会いに行き、そこでたくさんのイベントを行った。数えてみたら、そのイベントの数は120を越え、お会いした方の延べ人数は7000人を越えていた。できるだけ、多くの方と話ができるようにと積極的に話かけ、日本全国津々浦々の読者の方々が「日々抱える悩みや不安、そして楽しみや幸福のかたちは何なのか」と、耳を傾けた。もちろん、日々いただけるコメントも然りだ。考えるための材料として蓄積されていく皆様の思い。それはかけがえのない財産となって、今、私の中にある。
途中、私自身が編集長となり、さらにたくさんの仲間が増えた。漫画の『ワンピース』みたいだな、とふと思ったことがある。
日々のコンテンツを考えながら、webだからなし得る新しいビジネスを考える。それが難問だった。そこに巻き込まれる誰もが幸せになれる仕組みを皆でずっと考えてきたし、今後もチームで模索していくことになるだろう。
「現状のweb業界の正解が、少し先の未来まで正解であるとは限らない」ということを4年間で幾度となく痛感した。それは、業界が過渡期の只中であるために仕方がないこと。そう割り切れたらラクになったこともたくさんあっただろうが、「易きに流れるとすべてが終わってしまう」という怖れから身動きがとれなくなることばかりだったように思う。仲間に恵まれた分だけ、自分の非力にうちのめされる4年間でもあった。
そして、人事異動でミモレを離れるとなった今、デスクからふと顔をあげる。関わってくれるスタッフが増えたミモレは大きなチームとなり、立派な面積を会社からあててもらえるようになった。個人的には「デジタル部署なのだからリモートワークを推進したい」と考えていたので、会社の占有面積に一喜一憂するなんて自分自身とても野暮だと苦笑してしまうのだけれど……やっぱり感慨深いものがある。
冒険には、夢と仲間が必要だ
脳内BGM/What A Wonderful World(唄: ルイ・アームストロング)
〜明日へ続く〜
今日のお品書き
明日の20時〜、instagram生配信に最後の出演をします。当初、サイトへ露出することを頑なに拒んでいた私ですが、今となっては「皆様に楽しんでもらえるなら、それは素敵なことだわ」という境地に達しました。何事もやってみないと分からないものですね。最後は、大好きな、これまでにたくさんお世話になったマディソンブルーから咲子とお送りします。ぜひ、たくさんの方に観ていただけますように!
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