「少年にとって母親とは何だったのか。彼が起こした事件の経緯は報道でわかっても、その時に彼が何を考えていたかにはたどり着けない。でも映画ならば、それを感じさせることができるんじゃないか」。実際の事件をモデルに描いた『MOTHER マザー』の監督、大森立嗣さんは言います。長澤まさみさん演じる母親・秋子とともにホームレス同然の生活を送ってきた周平が、事件を起こすに至るまでには何があったのか。なぜ息子はすべての罪を自分だけで背負ったのか。「母と息子」にしかわからない、その何かを、映画は描いてゆきます。

*こちらは「2020年人気インタビュー20選」です。元記事は2020年7月3日に配信しました。


裁判だけ見れば「ひどい親」。自分は違うからとは片付けられなくて

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大森立嗣(おおもりたつし)監督。父親は前衛舞踏家で俳優の麿赤児。弟は俳優の大森南朋。大学時代から映画を制作し、俳優としても活動。

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働きもせずホストに走り、幼い息子はたったひとり部屋に残されたまま……そんなエピソードが描かれる『MOTHER マザー』を見て、なぜか昨今言われることの多い「理想の母」幻想に、思考が飛びました。「母親はいつも優しくあるべき」「母親は自分より子供を優先すべき」「母親は女であってはならない」——世の中が描く「母親」へのファンタジーと同化できない自分を責め、苦しんでいる女性は多いと聞きます。秋子はそういう女性たちの極限のあり様に思えたからです。

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その場しのぎで生きてきたシングルマザー秋子を長澤まさみが、内縁の夫を阿部サダヲが演じる。映画『MOTHER マザー』より。ⓒ2020「MOTHER」製作委員会

「裁判の経過だけ見れば、やっぱり、一般的には“ひどい親”という気持ちを誰もが持つと思います。それはそれ。でも違う立場から『私は違いますから』というふうに物事を見ることが、自分にはどうもできなくて」
大森さんはそう答えます。

そもそも、当事者である子供が自分の母親を判断する「基準」はなんでしょう。周りにいる友達の母親と比べること——「○○ちゃんのお母さんは優しいけど、うちのお母さんは怒ってばっかり」というような——でしょうか。では、もし子供が自分の周囲に比較する、他の「普通のお母さん」がいなかったら——つまり自分の母親以外に「母親」を知らなかったら、どうでしょう。
 

「舐めるように育ててきた」母親・秋子の過剰な行動


映画の冒頭で、一人トボトボと歩いている息子・周平に、まるで偶然友達を見つけたかのように近づいた母・秋子が、その膝小僧の擦り傷を見るや舌で「ベロリ」と舐め、観客をギョッとさせます。

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ⓒ2020「MOTHER」製作委員会

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「脚本には、僕らが送っている普通の社会生活の中では見えてこない“独特な触れ合い”みたいなもの——愛情と言っていいのかわからないような奇妙なもののニュアンスがあった。そこをもっと見たいと思い、問題提起を明確にするためのエピソードを僕が加えていった感じですかね。“舐めるように育ててきた”とも言う母親・秋子の、息子に対するそうした過剰な行動に、周平が何かを感じていたのかなと」

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母と息子の間にある“愛のような奇妙なもの”


本当に幼い小学生の頃から、秋子が困った状況に陥った時はいつも、秋子の隣にスッと寄り添ってきた周平。秋子は恋人が姿を消す度に、そんな周平に「あんたしかいない」とすがりつきます。まるで「絶対に裏切らない二番手の男」であるかのように。大森さんは続けます。

「彼らが起こした事件、<その原因やきっかけには、こうこうこういうことがありました>っていう理屈はあると思う。でもそれとは別に、母と息子の間にあるもの——母親が自分の前で泣いたり、自分の傷を舐めてくれたり、肌で感じる何かは、子供にはすごく強く影響する。どんなにヒドい母親であっても『世界の中で自分を見てくれているのは、この人しかいない』というような感覚を覚えているはずなんです。裁判などで母を罰するために色々言われてきた、狂気じみた過剰な何か——なんと表現すればいいのかわかりませんが、奇妙な愛のようなものを。母子は生活保護や児童福祉の世話にもなっていて、社会との接点がないわけではないけれど、やっぱり社会の外側にいる。だから二人の間にある“愛のような奇妙なもの”は純粋培養されているような気がします。社会の内側にいる僕たちは、それを許容する視点を持っていないんですよね」

社会の外側にいるがゆえに閉ざされた二人の関係を、息子は何かと比べて相対的に——「○○ちゃんのお母さんと比べて、うちのお母さんはひどい」といった——見ることができません。つまり周平にとって、秋子は母親として「絶対的な存在」なのです。

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息子・周平役はオーディションで抜てきされた新人の奥平大兼。ⓒ2020「MOTHER」製作委員会

興味深いのは、映画に「この母は、息子を救ってやれなかったのか」という視点が感じられないこと。もう少し正確に言えば、世間一般で言う「救い」を、この親子が求めているようには描かれていません。

「夏帆さん演じる児童相談員・亜矢は、最も周平に近づく人物で、僕らは基本的に亜矢の視点で母と息子を見る。『もしここで亜矢が周平を引き止めたら、周平は事件を起こさないですんだんじゃないか』と思う場面はあるんだけど、ラストに周平から出る言葉を聞くと、完全に無力になってしまうし、僕らの見方は違うのかもしれないとも思います。

どの映画を作る時もそうですが、特にこの母親に対しては、自分だってどこか同じじゃないかと思うんですよ。一人きりで辛くてキツくて、そばにいるものを抱きしめてしまう気持ちは、自分にも普通にある。事件を起こしたからといって“自分たちとは違う異物”とは思わないし、そうやって断じるのは社会の傲慢のような気がするんですよね」

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役割に縛られて、それを演じなければと思いすぎている


そうした視点が持てるのは、「普通とは違う」舞台女優の母親を持った、大森さん自身の「息子としての経験」も影響しているのかもしれません。

「それはありますね。自分は『母親に愛されていた』と思いますが、何かしてくれたという感覚は全然ないんですよ。『あなたが考えなさい』『あなたの好きに生きればいい、私も好きにするから』っていう感じで育ったんですよね。でもそれが、自分で物事を考える習慣になった。それでいいんだと思うんですよ」

一般的に見て、誰もが「ヒドい母親」と言うに違いない秋子、そこに何一つ異論はありません。でもその姿に——例えば、父親不在の「シングルマザー」であることに、男に使い捨てにされる生き方に、それすら気づいていない愚かさに、そして「母親」として断罪される姿に、自分の姿が不意に重なってしまう女性もいるかもしれません。

「みんな取ってつけたような役割に縛られて、それを演じなければいけないと思いすぎているんじゃないかなと思ったりするんですよ。どんな形にせよ、母親は子供を圧倒的に信じて愛する存在、それ以上もそれ以下もないと思うんですよね」

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大森立嗣(Tatsushi Omori)
1970年9月4日生まれ、東京都出身。大学時代に自主映画を作り始め、卒業後は俳優として活動しながら荒井晴彦、阪本順治、井筒和幸らの現場に助監督として参加。2001年、プロデュースと出演を兼ねた奥原浩志監督作『波』が第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞“NETPAC AWARD”を受賞。その後、荒戸源次郎に師事し、『赤目四十八瀧心中未遂』(03)の参加を経て、2005年に『ゲルマニウムの夜』で監督デビュー。そして『さよなら渓谷』(13)で、第35回モスクワ国際映画祭コンペティション部門の審査員特別賞を受賞。近年の監督作品は『セトウツミ』(16)、『光』(17)、『日日是好日』(18)、『母を亡くした時、 僕は遺骨を食べたいと思った。』(19)、『タロウのバカ』(19)など。公開待機作に『星の子』(2020年公開予定)がある。

<映画紹介>
映画 『MOTHER マザー』

7月3日(金)、TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

長澤まさみ×阿部サダヲ×《新人》奥平大兼×大森立嗣監督。 母と息子。ひとつの殺害事件。実話をベースに描く感動の衝撃作——

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ⓒ2020「MOTHER」製作委員会

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ゆきずりの男たちと関係を持つことで、その場しのぎの生活をおくる自堕落で奔放な女・秋子(長澤まさみ)。しかし、彼女の幼い息子・周平(幼少期:郡司翔)には、そんな母親しか頼るものはなかった。やがて寄る辺ない社会の底辺で生き抜く、母と息子の間に“ある感情”が生まれる。そして、成長した周平(奥平大兼)が起こした“凄惨な事件”。彼が罪を犯してまで守りたかったものとは——?

監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣/港岳彦 音楽:岩代太郎
出演:長澤まさみ、阿部サダヲ、奥平大兼、夏帆、皆川猿時、仲野太賀、木野花
配給:スターサンズ/KADOKAWA   (C)2020「MOTHER」製作委員会
公式HP :mother2020.jp   公式Twitter: @starsands_movie

 

 

撮影/目黒智子
 取材・文/渥美志保
 構成/川端里恵(編集部)