「イドコロ」が一つしかないのはキケン!?
家族仲が良い人、楽しい友人がいる人などは既にイドコロがあると安心しているのではないでしょうか? しかし、伊藤さんは一つではなく多種多様なイドコロを作っておくことが大事だと唱えます。
「イドコロはコミュニティでもなく、あくまで人がいる『淀み』であることも重要な認識である。たまたま居合わせた人が適当な範囲で交流することが正気を保ち、元気でいることにつながる。そういう人が居合わせる淀みが、アクセスしやすいところに複数あるのが暮らしやすい世の中であると思う」
確かに、家族や友人という近すぎる関係は、時と場合によって「適当な範囲」でなくなることもあるでしょう。伊藤さんは、個人経営の純喫茶やスナックなどもイドコロの例として挙げていますが、そういった経済的競争力の弱い場所は現代の機能合理主義によって排除されてしまうと危惧しています。
「個人の定食屋よりもチェーン店のほうが全体としては競争力が強い。全てを経済合理性に特化したチェーン店にすると、どうなるか。大きな実験だが、おそらく話し相手がいなくて困る人が増えるのではないだろうか。極論すれば、多数のチェーン系飲食店とカウンセリングクリニックという二極化した風景が街に広がるのではないか。これではあまりにハイコストだし、アンバランスだと思う。ある一面から見た合理化を全開にしていくだけだと重要なものまでなくしてしまう」
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