前回書いた高学歴専業主婦の記事には予想以上の反響がありました。

もちろん、専業主婦になりたくてなったという人もいると思います。一方、「なりたかったけど共働きではないと家計が成り立たない」というケースもあるでしょうし、そういった人は今後増えていくでしょう。

でも、先日の記事への反響の多さは、個人としては専業主婦になりたいとは思っていなかったのに、「なりたいんでしょ」「なりたくてなったんでしょ」と見られる、という人がいかに多かったかを物語っていると思います。

女性の数だけ、様々な人生、様々な想いがそこにはあったはず。なのに女性だからという理由で、勝手に意欲や希望を想像されてしまい、それにより採用や仕事の割り振り、昇進等、いろいろなことを決められてしまう。

それこそが統計的差別や無意識の偏見であり、目の前にいる個々人を見ずに属性だけで判断されてしまうことへの悔しさと絶望を呼び起こすのだと思います。

そのような日常に溢れる「属性による決めつけ」をこれでもかというほど集めた本が出ました。『早く絶版になってほしい #駄言辞典』です。 

 


この本は日本経済新聞社のプロジェクトで、次のように駄言を定義。一般の人からツイッターなどで募集した「駄言」とそのエピソードの数々を紹介しています。

 

【駄言・だげん】とは:「女はビジネスに向かない」のような思い込みによる発言。特に性別に基づくものが多い。相手の能力や個性を考えないステレオタイプな発言だが、言った当人には悪気がないことも多い。

私も言われた覚えのある言葉もあれば、そんなことまだいう人いるの?! と驚くようなものもありました。男性が言われやすい駄言もあります。

各発言にはその文脈と、当事者の、数行では言い尽くせないであろう怒りが(もしかしたら言った人の反論もあったかもしれませんが、それはそぎ落として)、ただただ並べられていて、ある意味で圧巻。そして、ひたすらに並ぶ駄言たちを眺めていて気が付きました。

そう、一つひとつは、「そんなに目くじらを立てるようなことではない」のかもしれません。「深い意味はないのに、揚げ足取りしなくても」と映るかもしれません。

でも、私達は、ここに並んでいるような言葉を、一度だけではなくかなり頻繁に、一か所だけではなく家庭や職場など行く先々で、ある時期だけではなく就職や結婚・出産をする前から、それらをした後も様々なタイミングで、特定の誰かではなく極めて色々な人に、言われてきているのだと。そして、それに、もう本当にうんざりしているのだと。

ツイッターの炎上等についても、発言した人にとってはたまたまポロっと出た一言だった、ということもあるかもしれません。誰にでも偏見はありますから、私も加害者側になっているかもしれません。

でもその一つひとつに声をあげないと、それが相手にどう受け取られたかが伝わらない。目の前の上司には言えないことでもツイッターなら言える、ということもあるかもしれません。モグラたたき的であっても、受け取った当事者がどう思ったかについて、声を上げていくことは必要だと思います。

本のタイトルにある「早く絶版になってほしい」に共感します。本の中にあるように“駄言”は時代により変化していくものでしょうから、この本に出ているような発言がなくなってもまた別の“駄言”が出てくるとは思います。それでも、自分の子供たちが大きくなったころに「昔は、そんなこと言う人いたの?!」と過去の遺物になっていることを願います。

前回記事「高学歴専業主婦への偏見と、その影に隠された女性たちの涙」はこちら>>