夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定が、改めて合憲と判断される裁判がありました。法務省によると、夫婦同姓を法律で義務付けている国は世界で日本のみだそうです。国連はたびたび日本の制度を「差別的」と改正を勧告しているとのこと。
どうして日本だけ、このようなことになっているのでしょうか。「昔そうだったから」今そうすべきとか、「他国がやっているから」やるべきという論法を使う気はありませんが、国際比較と歴史を同時に振り返ってみたいと思います。
中村敏子著『女性差別はどう作られてきたか』によると、江戸時代の日本では、「姓」は自分の出自を表すと考えられており、女性たちは、結婚後も自分の姓を変えることはなく、「自分の生まれた家」の姓を名乗ったといいます。
当時、「家」は、基本的に夫婦とその血族、そして使用人から構成され、現在でいえば家族経営の中小企業に近く、妻を迎えることは、「女房」という職分を果たすのに適合的な人物をリクルートするような意味であったそうです。
また当時、「家」において夫婦関係を成立させるための結婚は「家」同士の契約と考えられてはいたものの、そもそも結婚する当事者の意見が無視されることはなかった。職分に合わない時には夫と妻、どちらからの要求でも、簡単に離婚することができた。さらに、一度結婚した女性は「家」の職分に関する経験を積んだと評価され、離婚したことがマイナスに働くことはなく「転職」するかのように再婚も簡単にできた——。
このような江戸時代の日本の女性の姿は、キリスト教の教説の解釈から始まる「女性は自分の意志に従ってはいけない、すべて夫に従うべき」という女性差別的な内容が社会契約に組み込まれていく西欧社会と比べても、かなり自立的に見えます。
ところが、明治期に西洋的な夫婦概念や法概念が導入される中で、「職分」に基づく企業体のような「家」から、夫婦の「生物的属性」が前面に押し出された「家族」に変容し、その後の社会的な変化も相まって社会全体の家父長的な構造が作られていった……、と中村敏子さんは説明しています。
必ずしも西欧社会が昔から男女対等ではなかったことは、前田健太郎著『女性のいない民主主義』でも詳しく描かれています。
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