自分のためだけじゃ頑張れない。誰かのため、地球のために


目標を見失い、体調も心配な状況です。この事業に関しては我流で試行錯誤してきましたから、私がいなくなって同じやり方を続けたり、拡大したりするのは難しいと感じました。

中途半端に続けてお客様をがっかりさせるくらいならば、潔く辞めようと決意します。

心身共に燃え尽き、この先どうしようかな……と考えながら、時々母が住んでいる葉山の海を訪れる日々。若い時から無我夢中で走ってきて、初めてペースダウンしました。

小麦アレルギーは思うように良くならず、うっかり食べると、もしかしてアナフィラキシーで死んでしまうかもしれない、という状況は本当に恐ろしいものでした。次第に一緒に食事をしたお友達に迷惑をかけたらどうしようと考え、外食もおっくうになってしまいます。

この頃、体調と相談しながらですが、料理家やヨガインストラクターなど専門家やインフルエンサーさんたちをキャスティングしたり、WEBにおけるPRのコンサルティングを頼まれたりするようになり、WEBマーケティング事業をスタートしました。

また、アレルギーをきっかけに食に対する意識が高まり、現在もライフワークとして位置付けているエシカルな食のコミュニティ「エチコヤ」を知人の女性とスタート。近年はキーワードとしてよく取り上げられるエシカルとは、「道徳的」「倫理上正しい」という意味で、皆がいいと思うもの、シンプルに正しいと思うことを大切にしています。今日に至るまで葉山でゆったりとですが畑仕事をしたり、食の豊かさを分かち合う活動をしたり。こちらはメンバーと共にマイペースに続けています。

 

思えばこの頃が大いなる転換期でした。激動の20代を経て、自分を満たそうとするよりも、社会貢献やサステイナビリティの要素がある仕事をしたいと思うようになったのです。生産者や地球に優しい、多方面への思いやりがつまったエシカルな何かを作りたい、という気持ちがふつふつと湧いていました。

 


誰かの役に立つ、愛のある商品で、良い循環を作りたい。

2019年、そんな私にある「出会い」が訪れます。

「エシカルなものづくりをしたい」と話していたところ、有田焼の窯元さんをご紹介いただきました。早速訪れてみると、今まで知らなかった伝統工芸品の素晴らしい世界が広がっていました。また、さまざまな窯元を訪れるなかで、後継者不足で伝統工芸品の業界が衰退していることを知ります。

これは私にもできることがあるかもしれない。エチコヤでプロジェクトを立ち上げて有田焼のプロデュースをスタートしました。

しかし2020年、コロナ禍による緊急事態宣言。これが窯元に思わぬ打撃をもたらしました。飲食店からの注文が激減、窮地に陥ってしまうのです。

この時、「誰かがどうにかしないと、伝統は残らない」という当事者意識が芽生えました。そしてこの意識こそが、運命を変えることになったのです。
 

次回は、インスピレーションを得た小島さんの挑戦について詳しく伺います。
 

小島あり彩さん Arisa Kojima
1986年生まれ、大阪府出身。インド、ベトナム、カンボジアをバックパッカーとして巡り、フィリピンに2ヶ月、スペインに1年半の滞在経験あり。
いくつかの会社で営業経験を積んだのち、25歳で独立、26歳で起業。WEBマーケティング事業から派生した新進テーブルウエアブランド「Homare:」のオーナー。

▶Instagram<小島あり彩(@arisakojima0319)
取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
写真提供/小島あり彩さん

 

 


前回記事「15歳、鶏肉工場で働いて気づいた人生のテーマ。自由のために必要な二つの「自立」とは?」>>