彼女の独白「人生の辻褄を合わせようと必死だった」


私と失踪した夫、洋平さんは、お見合いで結婚したの。ちょっと土地を持っているおうちの息子でね、そこに家も建ててもらって、いいご縁だって私の母は喜んでね。結婚の少し前に父が病気で亡くなってしまったのが本当に残念だった。

でも、何もかもうまくいく結婚なんてあるはずなくて、夫は今でいうモラハラとかDVっていうのかしら、気性が荒くて、すぐにものを蹴飛ばしたり投げたりするような人でね。

お酒が入ってないと気が小さいのに、酔うと私に手をあげることもあったのよ。ねえ、あなたのご主人はそんなことしないでしょう?

「嵐の夜、夫が他の女と失踪して...」ヘアサロンを訪れた上品な夫人。同情したスタイリストの脳裏に浮かぶ恐ろしい光景とは?_img0
 

それでもまあ、私も若かったし、我慢して一生懸命自分の人生の辻褄を合わせようとしたの。いいお嫁さんになって、おうちを整えて、子どもを産んで……そうすれば物事がいい方向にいくって信じて、いろいろ頑張ったのね。

だけど、ようやくできた赤ちゃんが、あの人に無理な家事や用事を押し付けられて動いているときに流れてしまってね。それが、少し前に酔って蹴られたことも関係があるのか、最後まで分からなかったけれど。

悲しくて、悲しくて、でもどうしてか涙は出なかった。心が冷たい石になったみたいに、そこからぴたりと動かなくなってしまったの。そうしないと、どうにかなってしまいそうだった。

 


ふふ、そんな顔しないでね、もう昔のことだから。私も今年還暦だから、もう35年も前のこと。
    
その時の予後が悪かったのか、あるいはもともとそういう体質なのか、そのあと赤ちゃんが来てくれることはなかったわ。

ふさぎがちな私にますます興味を失った夫は、よそに女の人を作ったり、義父から相続した土地を駐車場にしてそのぶんを独り占めしたり、ほんとにあなたのいう「ダメ夫」だった。

ね? そういう男のひともいるのよ。いくらこちらが誠意を尽くしても、簡単に踏みにじってくるような人がね。

そういう人とうっかり結婚してしまったら、ためらわずに逃げていいと思うわ。でも、もしそうじゃなかったら、少しだけ自分も悪いところがなかったかな? って考えてみるといいかもしれない。夫婦は合わせ鏡っていうでしょう?

まあまあ、慰めてくれてありがとう。そうねえ、私も、そんな夫と結婚したんだから徳が足りないのよ。ふふふ、いい妻なんてとんでもない。

え? 結局離婚はしなかったのかって?

ええ、離婚してほしいって、もう飽きるほど頼んだのよ。でも、絶対に応じてくれないの。体裁を気にするひとだったし、私を家政婦のように思っていたんでしょうね。

でもね、ある日を境に、夫は帰ってこなかった。10年前の春の嵐の夜、出ていって、それっきり。他所の女の人と一緒に逃げたんだ、ってみんな言ったわ。弁護士の先生も、借金をして逃げたんだろう、残念だけどそういう男はいる、運が悪かったって。

3年で離婚が成立するって言われたけど、私は一軒家に住み続けた。広すぎる庭がある家に住んでいないで駅前のマンションに引っ越したら、なんてみんな言ってくれたけど、私、今の家は大好きなのよ。

桜の木があってね、見事な桜が咲くの。怖いくらい綺麗でね。

失踪して7年経って、もう離婚もできるんだけど、私は結構、今の生活が気に入ってるの。このままずっと住むと思うわ。ずうっとね。