親は自分を育ててくれた大切な存在ではありますが、だからといって自己犠牲をして尽くし過ぎてしまうと、自分の人生がおかしくなってきます。
もちろん親が年老いて、1人でできないことが増えてくると、人の手を借りなくてはいけなくなってきます。ある程度、支えることは大切ですが、親のほうも精神的な自立は大切。一方的に寄り掛かり、依存し、自分の快適さのために子供の人生を犠牲にしていいわけではありません。
子供の多くは、ある呪縛がかけられています。それは、「親の期待に応えなくてはいけない」という呪い。
世の中には、いい親ばかりではありません。子供を本当の意味で愛せる親ばかりでもありません。だから、子供の方も自分の人生を守り、必ずしも“親の期待に応えるいい子供”でいる必要はないのです。
その代わり、親に対して「自分ができる範囲のこと」はするといい。人それぞれ、心の許容量やできることは変わってくるので、「他の人はどうしている」とか一般論は関係なく、無理し過ぎない程度に親に奉仕をするくらいがいいと思うのです。子供は親の所有物でもなければ、奴隷でもないのだから。
理想を言えば、奉仕の先にあるものは、「束縛」でも「呪縛」でも「義務」でもなく、「愛」でありたいものですよね。
帰省したくなければ、しなくていい
結局のところ、帰省したくなければ、しなくてもいいもの。親のがっかりした様子を見ても胸が痛まない程度の関係性なら、尚更です。それは子供だけのせいではなく、「その親子のこれまでの関係性によってできてしまった状況」に過ぎないのだから。
単なる「親不孝」とは違う背景がそこにはあるのでしょう。
ただし、少しでも胸が痛むということは、やはり心の中に少なからず「親への愛」があるということ。
それなら、「少しの時間でもご飯を一緒に食べる時間を作る」「贈り物をする」ということで、一見、「罪滅ぼし」のようであっても、「親への愛」を見せることは、自分にとっても大切なことなのかもしれません。
親子というのは近い関係性である分、場合によっては、とても難しい間柄でもあります。自分が納得できる行動をとりたいものですね。
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