思いつきの嘘、ネガティブ癖…夫婦ゆえ、互いの心の動きが見てとれる

その日、私は週に一度出演しているラジオ番組の中で4日早い誕生日祝いをしてもらった。夫は、放送後にYouTubeに上がった音源をオーストラリアで再生し、出だしから「ハッピーバースデーこじま〜🎵」とおじさんたちが歌っているのを聴いて、日付も確かめずに慌てておめでとうメッセージとデジタルバースデーカードを送ったのだ。ところが続きを聴いたら、私が「あと数日で52歳になりまーす」と言ったものだから、「やべ! 今日じゃなかった」と急いでメッセージアプリの送信を取り消し、まだバースデーカードを開けないでねと、メールで思いつきの嘘をついたというわけである。

私は「いや単に忘れてたんでしょ」と返し、バースデーカードもとっとと開けて読んだ。ウッキウキの祝福メッセージだった。日付を忘れていたことをなんとか埋め合わせようとする心の動きが見て取れる。誕生日早とちりしたぐらい、なんてことないのにね。ごめんごめーんでいいじゃんか。脊髄反射で誤魔化す癖はなかなか治らないなあと、遠い昔のトラウマが疼いた。

夫が私の誕生日を間違えて「お祝いメッセージ」を送ってきた。湧き上がる疑念とウキウキの夫【小島慶子エッセイ】_img0
写真:Shutterstock

自称・便所の100Wの、不必要に明るいのが取り柄の夫だが、私は考えすぎてすぐ暗くなる体質である。先日もそんなネガティブ連想を展開していたら夫に「その穴に入るの好きだね」と言われた。これがとってもしっくりきた。そうそう、穴! この穴は居心地がいいのだ。だからお日様輝く真夏でも、冬眠するカエルみたいにすぐ丸まって暗い穴に籠る。しかも私の穴は深い。うんと深くて、黄泉の国まで通じている。そこには女ゆえに死の国に閉じ込められることになった女神が暮らしている。女神は悲しみながら永遠に怒っている。永遠に。どんな女の心の底にも、黄泉の国があるのだよ。私は隙あらば、ジメジメと暗い穴を下へ下へと降りていく。そして何週間かに一度は、穴の底から間欠泉のように悲しみと怒りが真っ黒に吹き上げるのだ。

 

闇の中で心地よく自分をいじめていると、何やら頭が温かい。やたら眩しい光がさす。見上げると穴の縁からヤツがのぞいている。100ワット野郎だ。それで「こっちは明るい」だの「眺めがいい」だのいうので、私は鬱陶しいなと思いながら、ノロノロと穴から上がっていく。

夫は結婚してからおそらく初めて、7月27日が妻の誕生日だということを忘れていた。今彼の頭の中は、日本での新生活の計画でいっぱいなのだ。子育てに注力した10年を終え、新たな暮らしが始まることに、ちょっとはしゃいでいる。それはめでたいことではないか。妻の誕生日なんか忘れちゃうくらい夢中になれることがあるなんて。私は心から願う。どうか来年からも、彼の毎日がそんな楽しみでいっぱいでありますように。

夏の終わり、私は毎年穴の底から陰気な声で夫に「私の誕生日、忘れたな」と言うだろう。そしたらセコイ嘘なんかつかずに、ああ忘れてたごめーん、と言えばいい。誕生日なんてそんなものだからね。あれは基本的に、子供の成長を親が賀ぐ為のものだから。ちなみに私が夫の誕生日を忘れないのは、別に愛情深いからでも義理堅いからでもない。元彼の誕生日が夫と近いからだ。それが1人や2人じゃないのだ。どうもその辺りの星のめぐりと相性がいいらしい。そのうちうっかり間違えるだろう。その時は「ごめーん、元彼と間違えた」と言おうと思う。


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