「私たちのためなんて、嘘」

「加奈、起きてる?」

私は翔太が寝た頃を見計らって、加奈の部屋をノックした。加奈はまるで私が来るのがわかっていたかのように、椅子に座って本を読んでいた。

ベッドに腰かけて、加奈に手招きをする。加奈はおとなしく横に座った。ここ2週間で一番、素直な目をしている。今なら正直に話せるかもしれない。

「加奈、お父さんのことだけど……加奈がこのまえ言ってたこと、どこで聞いたのかな?」

「……お母さんのiPad。LINEも読めるようになってるから。お母さんに買い物があるかききたくて会社の携帯のアカウントにLINEしようとしたら、お父さんとのやりとり、全部読めた」

私は思わずうなだれた。犯人は私じゃないか。

「そうだったんだね。嫌なことを読ませてごめん。あなたたちを傷つけたくなくて、いろいろ試しているところだったの。いい形で家族の答えを出せるように、慎重にしたかったのよ」

すると加奈の目に、急激に怒りの色が浮かんだ。

「私たちのため? 嘘ばっかり。お母さん、恥ずかしかったんじゃない? お父さんがこの家に帰ってこないことをみんなに知られたくなかったんでしょ? そんな見栄のせいでお父さんが嫌々ボランティア活動みたいに家に来て、そんなのみじめすぎるよ」

衝撃的な物言いに絶句しながら、その鋭さにびっくりしていた。

そう、本当は。

「夫は単身赴任中」本当はとっくに…空しい嘘を重ねる妻が嘘をついた衝撃の理由_img0
 

本当は、夫が出て行って「捨てられた家族」になりたくなかった。そんなの耐えられない。2年も単身赴任中、必死で家を守ったのに。「お前は優しくなくなった」と彬は言った。そりゃそうだ、こっちは子育てと家事と仕事で必死。優しくしてほしかったのは私のほう。

急場しのぎで「単身赴任延長」という設定にした。子どものため、なんて建前。

「……だって、お母さん、認めたくなかったのよ」

私はつぶやく。寂しかったこの3年。傷ついた日々。

こんなことは世間によくあることだと、離れた気持ちは戻らないのだと言い聞かせて。

「お父さん、よそよそしかったもん。ずっと感じてた。そんなの見たくなかったし、知りたくなかった。お母さんがへんな家族ごっこするから!」

「お母さんが悪いの? いけないのはお父さんでしょう! 無責任で、ずるくて、どうしようもないのはお父さんでしょう!」

私が叫んだせいで、翔太がいつのまにか部屋をのぞき込んでいる。ああ、最低だ。私、本当に――。

「そうだよ、お父さんだよ。だからお母さんだけいればいい。お父さんにお願いして来てもらう必要なんてない。いいじゃん、3人で。それでいいじゃん」

加奈が目に涙を浮かべて私を見た。すると翔太も、そばに駆け寄ってくる。

「そうだよ、ぼくもお母さんがいればいい。ていうかむしろ、お姉ちゃんとぼくとお母さんの3人のほうが平和。お父さんがいるとピリピリするし」

「へ……?」

きっと間抜けな表情をしていただろう。想定とまったく違う2人の反応だった。

「知ったときはすごくショックだったし、ムカついてご飯も食べられなかったけど……。正直、お母さんが出て行っちゃうよりも100倍いい」

「やだやだ、お母さんがいないのは無理!!」

そういうと、2人は私のことをぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた。痛いほど強く、切実に。

……ザマミロ、彬。

私は泣き笑いで、腕のなかにある世界一大切なふたりを抱きしめ返した。

もう元には戻らない、家族の形に執着して、嘆いてきたけれど。

失くしたものを惜しんで絶望するだけじゃ、長い人生がハードすぎる。その生き方を、今、手放そう。

加奈と翔太の熱いほっぺたを首筋に感じながら、私は今、新しい人生がようやく始まった気がしていた。


Fin.

次回予告
30歳で夢だったキャビンアテンダントになった彼女。ところが予想外の状況に……?

 
小説/佐野倫子
イラスト/Semo
編集/山本理沙
 

「夫は単身赴任中」本当はとっくに…空しい嘘を重ねる妻が嘘をついた衝撃の理由_img1
 

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