パイロットの妻はステイタス

「何言ってるの? パイロットだよ!? あの制服マジックで誰でも3割増しだよね。何より大手なら年収は2000万円以上になるだろうし、ステイで月の半分はいないし、結婚相手として最高じゃない? あーでもライバル多いなあ。CAの黒田先輩のご主人、キャプテンらしいのよ。彼女が主宰してる『パイロット妻の会』っていうのがあってね、文字通りパイロットの奥さんしか入れないのよ。皆さんご主人の運転する飛行機に乗って世界中行ってて、うらやましい~」

「別にご主人がパイロットじゃなくても、この仕事なら自分で世界中に行けると思うけども……」

私のつぶやきを、吉田さんはふふん、と鼻で笑った。

「夫が運転するフライトで、っていうのがいいのよ! とにかく、パイロットの妻は特別なのよ。競争率の高い男の人に選ばれた女だけがその称号を得られるってわけ。私、絶対パイロットと結婚したい。とにかくステイの夜はチャンスを狙っていかないとね。だから日帰り乗務なんて大っ嫌い。なんの意味もないじゃない」


忘れたい過去

家に帰ると、さすがに疲れが出て、メイクを落とすとソファに座りこんだ。

今回のフライトチームは若いメンバーで、チーフパーサー以外は全員私より年下だったような気がする。

30代なのに新人、という立ち位置は女社会のなかで少々面倒なものだ。キャビンアテンダントの世界はまだまだ上下関係がある。と言っても、昭和のドラマでみるような訓練の厳しさなどはなりを潜め、拍子抜けするほどだった。教官の物言いは優しく、「教官! ついていきます!」というようなノリも若い子にはない。

ミスをしてアドバイスを受けているところでも「時間なので」と帰ろうとする同期をみて、驚愕した。30代と20代前半というのはこうも違うものなのか。

――そもそも、どうしてもCAになりたいなんていう人が減ってるのかも。

熱量の違う同僚のなかで働くのが、こんなに堪えるとは思わなかった。みんな、予想以上にカジュアルにキャビンアテンダントになり、とくに執着もなく辞めていく。熱望組の私だけが空回りをしているような気がした。

パイロットにしたって、ちっとも素敵だなんて思わない。婚活もする気はないし、一生この仕事を極めていくつもり。

でも、どうやらそんな女はごく少数派で、私は周囲からなんとなく浮いていた。同期のなかでも「酒井さん」などとさんづけで呼ばれるのは私くらい。年上というだけではなく、明らかに距離をとられていた。

そういうひんやりとしたよそよそしさが、この1年、予想外に堪えていた。

――別にかまわない。やっと正社員としてキャビンアテンダントになれたんだもの。同僚と仲良くなるために来てるわけじゃないし。それにパイロットなんて、ちっとも憧れない。……ちっとも。

私は、スマホに1枚だけ残った昔の写真を開く。

「私、パイロットと結婚したいの」20代CAの熱意についていけない32歳の新人CA。隠し持つ写真に写っていたのは…_img0
 

今日こそ、と思うのに削除ボタンを押せない自分にうんざりする。私はため息とともに、ソファの背もたれに倒れこんだ。

次回予告
彼女がキャビンアテンダントを志望した切ない理由とは?

 
小説/佐野倫子
イラスト/Semo
編集/山本理沙
 

「私、パイロットと結婚したいの」20代CAの熱意についていけない32歳の新人CA。隠し持つ写真に写っていたのは…_img1
 

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