新卒就職が叶わず生活のために派遣社員として働く紗央。言葉の分からない日本で心無い扱いを受けるベトナム人留学生リエン。男に対する優柔不断ゆえのトラブルに懲りて地味に孤独に生きる良子。そして、彼女たちの生きる社会に密かに溶け込みつつある「未知の存在」……。
三人の女性の日常を描きながら、今の社会にある様々な違和感を描いた小説『隣人X』。この作品で作家デビューしたのは、インディーズ映画の脚本を手掛けた経験も持ち、現在はフランスに在住するパリュスあや子さん。作品に込めたのは、その人生の紆余曲折で自身が感じてきた「3つのモヤモヤ」だといいます。

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好きなコトを求めるうちに「平均的」な人生のレールから外れていた

 

パリュスあや子 ぱりゅす・あやこ
神奈川県生まれ。フランス在住。「山口文子」名義で映画『ずぶぬれて犬ころ』の脚本担当、歌集『その言葉は減価償却されました』上梓。2019年『隣人X』(受賞時タイトル「惑星難民X」)で第14回小説現代長編新人賞を受賞し、作家としてデビュー。

 

パリュスあや子さん(以下、パリュス):作家になりたいとか、なれるとか考えたことは全然なくて。幼い頃から本は身近にありましたが、多くの名作・傑作が存在するその世界はすでに完結していて、自分がそこに入るなんて思いもしませんでした。むしろなりたいと思っていたのは脚本家。中学時代からミニシアターに通い、日本のインディーズ映画の世界を知って『映画に関わりたい』と思うように。その中で、書くことなら自分にもできそうかなと思ったんですよね。

14歳の時、ミニシアターで初めて見たのは、イラン映画『りんご』。「中学校が苦手で全然行けていかなかった」というパリュスさんは、同世代の少女が監督したその作品を通じて、学校以外にも広い世界があることを知ったといいます。

パリュス:『嫌われ松子の一生』とか『フリーダ』とか、女性が必死に行きていくお話には力をもらいます。ミュージカルも好きなので、歌って踊ってみたいな作品も好きですね。小池栄子さんの主演作『接吻』を観て「やっぱり映画に関わりたい」と思って新卒で入った広告代理店を辞めました。『接吻』は、小池さんが演じる地味に暮らす女性が殺人犯に面会し自分を重ねて心惹かれてゆく物語なんですが、主人公の「自分たちはこんなにつらい思いをしてきたじゃないか」というあの苦しさや悔しさが、強く印象に残っています。

そんなわけで、大学を卒業して就職した会社を辞め大学院へ進学したパリュスさんーーその当時はまだ山口さんでしたがーーは院卒後、派遣社員として働き始めます。

パリュス:会社を辞めてまで大学院で勉強したのに、卒業後にまた会社員に戻ることに納得がいかなかったんです。同じ頃に3.11が起き、さらに家族の病気や死を経験したのも大きかった。好きなコトをやらないと損だと思い、気付けば平均的な人生から外れていましたが、不思議と不安はなかったですね。

さてそこから数年後、パリュスさんが書いたデビュー作『隣人X』には、三人の女性が登場します。まず一人目は、大企業で派遣社員として働く土留紗央です。

パリュス:私の場合、一般的な社会人のレールをドロップアウトしてからは気楽にやっていて、派遣も「半年とか一年契約の割のいいバイト」ぐらいに思っていたんですよね。でも中には生活の不安を抱えながら、正社員の地位や安定した仕事を求めてやっている人もいて。一方でいわゆる「出世組」の友人たちの中には、安い賃金で同じ仕事に従事する派遣社員に頼ることを申し訳なく思いながら、どうすることもできず歯がゆい思いをしている人もいます。

紗央には「小説を書く」という目標があり、その意味では派遣社員は当座の「仮の姿」。でありながら感じるのは、大企業でバリバリと働き「自分たちが世界を動かしている」と自負する「あちら」の人たちと、おそらく生涯そちらにはなれない「こちら」の自分ーー平凡で平均的な自分です。

言葉が不自由だと最低賃金さえ稼ぐのが難しい


話をパリュスさんーー山口さんに戻しましょう。大学院を卒業した後、派遣社員やアルバイトで食いつなぎながらぼちぼちと脚本を書き続けていた山口さんは、フランス人の夫と結婚。パリュスさんとなり、2018年にフランスへと移住します。

パリュス:外国に移住して言葉が上手く話せないと、結局は日本食レストランの給仕といった仕事しかできません。私自身も「なんでもいいから働かなきゃ」と焦ってサービス業についたことがあるんですが、雇用主に「あいつは何言ってもわからない」みたいな扱いを受けてーーそれくらいの言葉は私でも分かるし!ってことを、目の前で言われたりするんですよ。日本にいたらもっと良い条件の仕事も見つかるのに、ここでは最低賃金すら得ることが難しい。「でも自分が好きで来たんでしょ?」と言われれば、何も言い返せないし。二人目の主人公、ベトナム人留学生リエンは、そうした実際の経験そのままに描いたものなんです。

派遣社員・紗央の「社員証紛失騒動」という日常から始まるこの小説は、パリュスさんがフランスで体験した別の出来事によって、どこか奇妙なただならぬ世界へと広がってゆきます。それこそがタイトルにある『隣人X』の存在。三人の女性の日常生活の一方で、世の中は常に「惑星X」からの難民を受け入れるかどうかで賛否両論揺れています。

応募数1209編の中から第14回小説現代長編新人賞に選ばれたのがパリュスあや子さんの『隣人X』。人と見分けがつかない惑星生物「惑星難民X」を受け入れることになった日本を舞台に、SF的な大胆な発想のもと、境遇の異なる3人の女性たちの日常を描く。移民・移住外国人の受け入れや雇用形態による賃金格差、男女格差など、多様性の受け入れ・ダイバーシティが掲げられる一方で、当事者や周辺の人々が抱えるモヤモヤ……の理想と現実をあぶり出す。


知っているようでまったく知らない隣人のこと


パリュス:フランスを舞台に何か脚本を作れないかとネタを探す中で、「レ・ボワザン(隣人)」というお話を考えたんですね。きっかけは、マルシェで知り合った東欧系のお兄さんと、移民のための語学講座で出会ったロシア美女二人組、と知り合ったこと。互いにカタコトでなんとなく言葉をかわすようになったものの、彼らが普段どういうところに住み、何を食べ、どういうコミュニティがあるのか、私は全然知らないんですよね。ロシア人の二人はマッチングアプリで結婚して来たらしいんですが、実はフランスにはロシア人がすごく多いみたいなんですよ。日本人の目から見たら同じ白人にしか見えないんですが、言葉にも苦労していて。
でも実はこれと似たようなことって、日本にもあるんです。例えばコンビニなどで働いている外国人労働者の方たち。日本語のネイティブではない人たちにとって、かなり大変なお仕事を低賃金でやっていて、それが当たり前になっている一方で、彼らがどこの国からどういう事情でやってきたのかまでは、なかなか考えが及ばない。私自身、フランスで同じ立場に立たされて初めて、そういうことにようやく気づいたんです。

対象とする生物をスキャンし、その姿を完璧に再現する特殊能力を持つ「惑星難民X」。平均的で平凡な人間に姿を変え、実は世界中で人間に紛れ込んで暮らしていますが、もともとは無色透明な生物です。

惑星難民Xが平均的で(つまり目立たない)人間に姿を変えるのは、「人間は自分たちとは異なる存在を忌み嫌う」と理解しているからです。周囲の人間に馴染もうと、見た目も行動も同化するがゆえに、その存在はまるで空気のように認知されません。だからこそ実態に考えが及ばず、結果として尊重されることもありません。世の中は、彼らが「どれだけ苦労しているか」以前に、「苦労している人がいること」ことすら気づいていません。要するに彼らは、いないことになっている「透明な存在」と言えるかもしれません。

 
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